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3月最終金曜日です。そういえば、「プレミアムフライデー」ってどうなったんだろう?
そう思いまして、ChatGPT先生に聞いてみました。すると、
- 「そんなのあったね」状態になっています
という回答が。。。「プレミアムフライデー推進協議会」なるものが経済産業省と経団連主導の団体としてあったらしいですが、サイトすら閉鎖されている始末。所詮、国がやることなんてこの程度です。
というわけでコロコロニュースですが、本日で「最終回」にしようかなと考えております。最後なんでちょっと毒吐きますね。そしてめちゃくちゃ長くて思想強いです(汗)。今日だけ許してください。
コ□ナ直後くらいから5年近くつづけてきたコロコロニュース、いま過去のものを見返してみても、当時バカにされたことのわりと多く(体感8割以上)がその通りになった、事実だったと言って差し支えないかと思います。
そんなコロコロニュースを最終回にしようと思った理由としてはいくつかあります。
まず、コロコロニュースをお伝えするだけで、毎回コラムにかかる時間が確実に30分〜60分加算されてしまうという点で以前から悩んでいました。
そして、ここに来て4月1日から施行される「情報流通プラットフォーム対処法(略して「情プラ法」)」により、SNSでの発信が制限される可能性が高いことが2つ目の理由です。
政府や諸外国に不利になるような発信を、国がSNS配信業者に対し差止請求できるというものです。さらに「削除命令」も可能だとか。こうなってくると情報源が限られてきてしまいます。
これは国会で決まったわけではなく、お決まりの閣議決定です。戦前の検閲と同じようなことが行われるわけです。今、日本は末期です(まあ、世界的に見て多くの国が末期ですけど)。
こうやって、民主主義の皮を被って、実際は正反対のことをやっているのが今の政府だし、諸外国も同じです。アメリカですらね。
でも、この数年でさすがに気づきましたよね。「あ、この国、なんかおかしいわ」って。もし気づいていなければ、ひとことだけ言わせてください。「いい加減にしろ」。
そういう人間がいるからこの国は今のままなんです。このコラムでは何度か言ってきたことです。民主主義の最大の敵は「バカな人民」だと。
想像してみてください。「バカの多数決」ほど恐ろしいものはありません。
民主主義の責任は国や政府にのみあるのではありません。我々にもあるのです。その責任とは「バカでいてはいけない」ということなんです(もちろんこの「バカ」は学力のことを指すのではありません)。ほんと、台湾の人とかを見習ったほうがいいよ。
まず、この国を蝕んでいるのは、ひとつ目は「官僚」です。
ここで注意したいのは「政治家」ではないということです。もちろん、官僚にもまともな人、きちんとした道徳観や正義感を持った人もいます。やらかしているのは一部の官僚です。
また、本当に悪いのが官僚だからといって、政治家が悪くないことにはなりません。しかし、多くの政治家はただの操り人形で、「クソみたいなグラビアアイドル」と同じです(もちろんマジメに誇りを持ってグラビアアイドルをやっている人もいることはわかっています)。
彼らは、政治家でいさせてもらい、ちょっといい思いをしたり人からチヤホヤさせてもらえるなら、誰のいうことでも聞きます。プロデューサーに体を売ってテレビに出させてもらうクソみたいなグラビアアイドルと同じなんです。
その証拠に、無免許で車を運転して事故ったり、税金で温泉旅行に行ったのがバレて記者会見で幼児のように号泣したり、秘書に向かって「このハゲーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」とパワハラしたり、ベトナムで児童買春したりする政治家が後を絶たないわけです。
私はずっと不思議でした。なぜこんな人(たち)が政治家になれたんだろう?と。今ではよくわかります。こんな人たちだから政治家になれたんです。
なぜなら、こういう人間は非常にコントロールしやすいからです。メディアを使ってその行いを「バラすよ」と言うだけでイチコロです。そもそもチヤホヤされたい人間なんだから、アメをばらまいて「スキャンダル」というカードを握っておけば、何でもします。
以前、ロビー活動をしていた経営者仲間が言っていました。「政治家って、マジでバカだよ」。そうだろうなと思うわけです。
「でも、そういう人が選挙で当選するとは限らないじゃん」と言われそうですが、いくらでもそんなことは可能です。
この国に不正選挙がないとでも?ネットを叩けばいくらでも状況証拠=疑わしい事実が出てきますよ。バラそうとして命を落とした人だっています。マスコミで報道さえしなければなかったことと同義なんです。
テレビでは出口前調査だけで当確が出るとかおかしいでしょ。いくらでも「既成事実」をつくれてしまう。これも台湾の選挙を見習ってテレビカメラの前で一票ずつ開票するとかしたほうがいい。
ここ数日で、Facebookでつながっている人が2名ほど政治家として立候補すると投稿を上げていました。ひとりは自民党から、ひとりは都民ファーストから。今の自民や都ファから立候補しようとしている時点でお里が知れるという感じ。
まず、自民から立候補した知り合いは、以前、ある小さな経営者の会で一緒でした。そこでの彼はマウントを取り非常に態度が悪く横柄で、私が一番キライなタイプの人格の持ち主でした。そしてそのころから「政治家になりそうだな」と思っていました。
なので、今回自民から出馬というのを見て、「もうすでに自分の利権のことしか考えてないやん」と感じました(かなり個人的な主観で話してますけどね)。「彼を応援してあげてほしい」という連絡が知人からも来ましたが、シカトしました(性格悪いので笑)。
しかし、自民から立候補するとなった途端に、彼のFacebookには今までよりはるかに多い「いいね!」と「コメント」がつき、人民の敵は人民なんだなと悲しくなりました。
もうひとりも、よりにもよって緑の妖怪ババア率いる都ファからなんて、こっちはよく知っている人だけに「無知」という感じ。これも悲しい。
こういう人たちなので、コントロールは容易だし、いつでもトカゲの尻尾のように切り捨てることができるわけです。本当に悪いヤツは表に出てこようとしません。
歴史を見ても、国が腐るときは国王とか将軍とかのわかりやすいポジションの人ではなく、わかりづらい官僚ポジションのヤツらが権力を握ろうとか、より強固なものにしようという私利私欲に走って国がおかしくなります。
日本でいえば。。。その代表が「ザイム真理教」というわけですね。
そこに気づいた人が増えたのはとても良いことですが、そんなことはメディアではいいません。そうです、この国を蝕んでいるヤツらのふたつ目がメディアです。このお話は何度もしてきました。
メディアが変わればこの国は変わります。その急先鋒がSNSでした。今回の財務省デモはSNSなくしてはここまでのムーブメントになりませんでした。今やSNSの力は権力者たちにとっては無視できるものではないのです。
だから「情プラ法」なんです。閣議決定から施行までがあっという間。ヤツらがそれだけ焦っているという証左でもあります。
兵庫県知事選もそうでした。斎藤知事が再選したのは、間違いなくテレビや新聞などのオールドメディアよりもSNSに代表されるニューメディアのほうが信頼度が上がったためです。
オールドメディアは110万票も獲得し再選した斎藤知事をいまだに叩いて失脚させようとしています。なぜか。「やっぱりテレビが言っているとおりだった」という印象を多くの人に持ってもらわないと、オールドメディアが死ぬのも時間の問題となってしまうからです。
兵庫県知事選から何日経ちましたか?なぜいまだにオールドメディアでこのことをしつこく報道するのでしょうか?
まあ、オールドメディアも全部言ったら反斎藤側が隠している悪事がバレちゃうので、非常に気をつけながら印象操作をしているようです(笑)。
しかし、そのあたりのネタはすでにネットにいくらでもありますし、反斎藤側がしつこい理由もネットに(予測ではありますが)出ています。これらは絶対にテレビで扱わないわけですね。
繰り返しますが、メディアが変わればこの国は変わります。必ず良い方向に向かいます。
日本の官僚とメディアが変われば、あっという間にこの国は良くなります。みんな幸せになります。と、いいたいところですが、この2つのウラにラスボスがまだいるんですよね。
アメリカじゃないですよ。ましてや中国でもない。「国」という概念に囚われている時点で見えないものです。そしてとても抽象的なものでもあります。
抽象的なものなので明確に答えきれませんが、その答えの輪郭が本日のコラムには書いてあります。
はい、最終回ということでとっても長いコロコロニュースになってしまいましたが、すんません、ここからも長いです。
本日はかなり「思想の強い」所感となります。人によっては「気持ち悪い」「気分悪い」と感じる話かもしれませんので、コロコロニュース最終回を見て「うーん」と感じた人は読み飛ばしていただいても結構です。
最近、「合理的」「合理化」という言葉に疑問を持つようになったんですよね。
●つながりすぎた世界
唐突ですが、「便利」という言葉、ポジティブな印象がありますが、本当でしょうか?
「便利」という言葉について考えてみます。この言葉は、言い換えるならば「効率化された」「合理化された」といえます。
そしてもうひとつ。何を持ってして「便利」になったか。私には持論があります。「便利」とは「つながる」ことだと考えています。
日本は至るところに整備された道路があります。高速道路だって、たくさんありますね。新幹線が開通したのは昭和の東京オリンピックの前。東海道新幹線が博多まで延伸したのは1975年なんだそう。その後、新幹線は「のぞみ」の登場により、東京ー大阪間を2時間半で結ぶようになりました。
飛行機だって、1日に日本の国内線だけで2,000便以上と言われています。
車や道路、電車、飛行機は物理的にさまざまなものを高速でつなげることを可能にしました。今では、24時間あれば世界の大抵の場所に到着できます。これらにより、人の移動も物の移動(物流)も劇的に早く低コストになりました。
これって、便利になりましたよね。しかし、いくらかの少なくない犠牲も払っていると私は考えます。
たとえば、物流はスピードと低コストを実現することができました。つながることにより、資金が潤沢な物流会社が強者の戦略を使ってシェアを獲得、拡大しました。どんどんつながっていくことにより、どんどん低コストを実現し、価格競争で負けることはなくなりました。そして、小さな運送会社は下請けに回るか廃業するしかなくなりました。
私の両親は家庭配置薬業を営んでいました。「富山の置き薬」というやつです。これは今思うと「つながっていないから成り立つ商売」だと思います。すぐに薬を手に入れることができない、でも今すぐに熱を下げたい、怪我を癒やしたい。こんなニーズにより成り立っていました。当時は薬局も今ほどないし、ましてや夜遅くまでやっている店なんて、呑み屋以外ほとんどありませんでしたから。
人の移動、物の移動が容易になった世界では家に薬など置いておかなくても必要なときにすぐに買いに行けます。置き薬業界は、業界一位の富士薬品ですらドラッグストアを出店するに至っています。
イオンに代表されるような郊外型の大型スーパーに近隣の商店が潰されてしまうのをイメージするのもわかりやすいです。
これだけ高速に大量にモノを運べるようになった現在、自社の物流センターとつながり「合理化」された大型スーパーは問屋さんすらほとんど必要なく、どんな商品も販売しています。お客さん側から見ると、さまざまな商品がひとつのスペースで物理的につながっているので、レジも1度通ればすむしたしかに便利ですね。
つながりすぎた世界ではどうやら「大きいものが勝つ」という原理が働きそうです。小さいものを潰したり吸収したりすることでどんどん膨張していくイメージ。だいたいが「じゃんけん」や「三国志」の状態になるといいます。つまり3〜4社程度に絞られる、寡占状態になると。携帯キャリアしかりビール業界しかり。
もちろんその影で小さいものが犠牲になっているわけです。弱肉強食の世界だから仕方ないといえばそうかもしれません。私もそう思って今でも経営しています。
ただ、便利ではないからこそ必要だった仕事が今は片っ端から「効率化」「合理化」という名目でなくなっていることには強い違和感を感じます。
東京ー大阪間、江戸時代は14日間かかったそうです。そのためさまざまな場所に宿場町ができました。宿場町ができれば仕事が生まれ、仕事が生まれれば雇用が生まれます。
つながりすぎていないから宿や飲食店などの店ができ、そこに雇用が生まれ、つながりすぎていないから問屋さんの必要性が生まれ、そこに雇用が生まれる。
今は機械が人の仕事の大半を担っています。これからAIの進化でさらに仕事は奪われます。つまり雇用が生まれなくなります。
経済は生態系のようなものです。雇用が生まれなければ人は貧乏になります。そうなれば消費が起きません。その状態で、みなさん、どうやって商売するのでしょう?
便利な世の中というのは「つながりすぎた世界」。合理的な世界だからこそ、人が必要ありません。
こうして、世間一般でいう「勝ち組」「負け組」というカテゴライズができてしまいました。雇用にあぶれた人は負け組、良い企業できちんとした雇用にありつけている人は勝ち組、というわけです。
●「便利」は人を実は幸せにはしていない?
「便利」は負け組を不幸にしました。これは間違いないでしょう。
さて、では勝ち組は便利な世の中で幸せなのでしょうか?
世間一般のイメージはそうかもしれませんが、私はここに疑問を感じます。
世の中をつなげたものの例として、道路や電車、飛行機などのいわゆる交通機関を挙げましたが、他に世の中を便利にした=つなげたものって何があるでしょう?
今であれば、スマホとその中のアプリがそうかもしれません。LINEなどで友だちと離れていても「つながり」ますし、ブラウザを開けば情報と「つながり」ます。
ちょっと前であれば、メールでしょうか。時をほぼ同じくしてインターネットが世の中をつなげました。物理的制約が減り大幅に「効率化」されました。そのちょっと前は携帯電話が世の中にインパクトをもたらしました。家にいなくても「つながる」わけです。もうちょっと前になるとFAXがそうでしょう。さらに前になると「電話」がそうですね。
これらが世の中を格段に便利にしたということに異議がある人はあまりいないでしょう。私もそう思います。
さて、これらができて、たとえばビジネスの面で私たちはどうなったでしょうか?
便利になったのであれば、仕事は「合理化」「効率化」されるはずです。具体的には、労働時間が大幅に減っても今までと同じだけの生産ができるはずです。毎日15時に仕事が終わっても営業成績は今までと変わらないかそれ以上、こうなっていなければおかしいはずです。
現実はどうでしょう?私が社会人になったときはインターネットがではじめで、まだビジネスでは活用されきっていませんでした。電話とFAX、携帯電話が主流でした。それでも十分便利なはずでしたが、家に帰る時間はほぼ毎日23時過ぎでした。
私が社会人になる前、携帯電話がなかった時代と帰る時間は変わったのでしょうか?もしくは生産性が上がったことにより給料は上がったのでしょうか。上がっていません。
今はどうでしょう。ネットやスマホの出現でさらに便利になりました。しかし、起業したころにもこれらは出揃っていましたが、毎日遅くまで仕事をしていましたし、たいして儲かってもいませんでした。本当であれば携帯電話とFAXで仕事をしていたときよりも帰る時間が早かったり利益や収入が増えていないとおかしいはずです。
日本は30年間でめちゃくちゃ便利になったはずなのに、この30年、平均年収が増えていません。それどころか社会保険料や税金は上がっています(手取りが減っています)。
おかしいですね。便利になったら、「効率化」「合理化」されたら、結果はもっとよくなっていないといけないのにそうなっていません。
技術が発達してつながりまくったはずなのに、幸せな人より不幸な人のほうが増えています。子どもの7〜9人に1人が貧困となり、救済措置となる子ども食堂は全国で10,000ヶ所以上と言われています(中学校の数より多いらしい)。
こう考えると、実は「便利さ」「効率化」「合理性」と「幸福度」にはほとんど相関関係、因果関係がないと言えるのではないでしょうか(むしろ逆相関?)。いったい私たちは何をしているのでしょう?
●「交通手段」「通信手段」以上に世の中をつなげてしまったもの
「合理性」についてもう少し考えてみましょう。
たとえば時短家事などはどうでしょう。お母さんは時短家事をすることで、効率的に家事を回せます。その目的はなにか。
本来であれば、時短家事により空いた時間で夫や子どもなど家族とのふれあいが増えるべきです。休憩や趣味に使っても良いかもしれません。そういうお母さんもいるかもしれませんが、空いた時間で仕事をしないと家計が回らないという家庭も現実は多いでしょう。
幸せのための「便利」「合理化」だったはずなのに。
実は「効率化」とか「合理化」、「合理性」という言葉には別の側面があります。それは「経済合理性」というもの。この言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
「経済(的)合理性」とは「経済的な価値基準に沿って論理的に判断した場合に、利益があると考えられる性質・状態。(goo辞書)」とのことです。
私たちがなぜ「効率化」「合理化」を求められるかというと、この経済的な価値基準としてどちらがお得かという損得勘定のためです。いわば、経済のために「合理化」「効率化」せよ、ということです。
もっといえば、経済のために不要なものは排除するということでもあります。それがたとえ人間(雇用)でも、です。
だって、goo辞書の解説には主語がないですよね。「利益があると考えられる性質・状態」って、あなたにとって?私にとって?国民にとって?企業にとって?政府にとって?「誰にとって?」という話なわけです。
経済のために合理化することは、本当に人間の幸福に結びつくのか。便利なものがたくさん生まれているのに不幸な人が増えていることを考えると、答えはNoなのではないかと言わざるを得ません。
デービッド・アトキンソンという人がいます。この人は日本の中小企業は生産性が低いので淘汰するべきだという主旨のことをいったと言われています。だいぶ叩かれたわけですが、それに対しそんなことは言っていないと解説するメディアがありました。
例えば2019年ごろ、「中小企業淘汰論者」と一部の人たちから攻撃されたのは、菅政権のブレーンとして知られた元金融アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。といっても、アトキンソン氏は「中小企業を淘汰せよ」なんてことは一言も言っていない。
以前からアトキンソ氏は、日本経済を復活させていくには、日本企業の99.7%を占める中小企業の生産性向上が不可欠だと主張しており、海外の生産性にまつわるデータや最新の経済論文で分析を進めたところ、中小企業の再編・統合を促していくしかないという結論に至った。
「中小企業の再編・統合を促していくしかないという結論に至った」とありますが、ごめんなさい、これのどこが淘汰じゃないのかわかりません。
この人、日本をぶっ壊した張本人と言われるケケ中平蔵と仲良しなので信用できません。そもそもケケ中平蔵に限らず今までさんざん国をおかしくしてきたヤツらが招聘したヤツなんて信用できないし、ましてや日本人ですらないじゃん。
人間は生産性のために生きているんじゃねーよバカタレ。生産性は目的じゃなくて手段なんだよ!アトキンソンだかパーキンソンだかしらんけど頭わりーな(毒はいていますすんません)。
日本の中小企業の生産性が低い理由、それは極度につながりすぎた世界で、大きいものだけが勝つ状態が原因だと私は考えます。それにより物価は下げられ、給与は減り、生産性のために安い労働力の国に雇用と技術が流れた。それらによりさらに高い生産性とやらをムリに求められる負のスパイラルに入った。
多少不便なころのほうが人は幸せだったわけです。
ちなみに、交通手段や通信手段を挙げて「つながりすぎた」例を紹介しましたが、それらの前に世界を圧倒的につなげてしまったものがあります。何かわかりますか?
それは「お金」です。正確には「金融」です。
金融により、ビジネスは世界中に繋がりました。一見良さげなことかもしれませんが、お金が物々交換の道具以上の意味を持ったことでさまざまな問題が生まれました。
「グローバル」「グローバル化」という言葉をポジティブにとらえている人は多いと思います。「世界基準」とか「世界に打って出る」的なイメージですよね。世界を舞台にしている好印象の言葉ですが、意味としてはこれだけではありません。
「グローバル化」とは「平準化」という意味が含まれていると言われています。つまり、グローバル化すると平均的になります。
金融でつながった世界は労働力も外部に委託することができます。中国をはじめとした東南アジアの発展がめざましいと言われていますが、これは世界的に見れば平均的になっていっているといえます。
つまり、もともと平均以上だった日本は下がって、平均以下だった中国や東南アジアが上がった。
経済合理性を考えれば、たしかに安い国に仕事を任せたほうが良いかもしれませんね。そして日本人は職を失います。
職がなくても生きていくことはできるのかもしれませんが、お金がないと生活ができないとほとんどの日本人が、いや世界のほとんどの人が思っている(思わされている)でしょう。
これはお金の奴隷の状態と言っても過言ではありません。
3年前に私が通っていたスポーツクラブ、うるさいくらいにマスク着用を言われました。運動のための場所でマスクさせるとかイカれていると思っていました。
ところが、夏になって少し経ったとき、ランニングマシンはマスクを着用しなくてよい、という謎ルールが通達されました。おそらく厚労省からの熱中症対策が発端だと思います。
さて、コ□ナが本当に恐ろしい感染症なら、そしてマスクに本当に効果があると思っているのなら、いくら熱中症対策とはいえマスクを外してOKなどと言うでしょうか?
覚えていますか?コ□ナ騒動でまっさきに槍玉に挙がったのは彼ら(スポーツクラブ)です。つまり、彼らはコ□ナを恐れているのではなく、仕事がなくなることを恐れているのです。お金の奴隷です。
仕事がなくなるかもしれない。それだったら、他人の権利とか自由より自分の生活を守るために他人にルールを守らせよう。こういうロジックが働いており、「そのルールが本当に必要か」にまで思考が進みません。自分の生活を守るために人の権利と自由を奪う。
だから多数決は間違うんです。冒頭のコロコロニュースでも話しましたが、民主主義の最大の弱点は、それを構成する人民がバカだったら結果が間違うということです。
アウシュビッツ強制収容所でユダヤ人を大量虐殺したのは、残虐なナチスの兵隊ではなかったそうです。むしろ公務員のような人たちが、上から決められたルールだからと粛々とユダヤ人たちを殺していった。おそらくこれも自分の生活を守るためにやったのではないでしょうか。
このように、私たちはお金でつながされてしまいました。ひとりひとりにお金という足枷をつけられてしまいました。
武士の時代や太平洋戦争のころの日本人は、他の人のために平気で自分の命を使える(使命)人たちが大勢いました。ことの良し悪しは置いておいて、諸外国が日本を恐れた理由はこれだったのではないかと思います。
今はすっかり鳴りを潜めてしまいましたが。
●経済の向こう側
これら経済合理性の行きつく先は何でしょうか?それは、人間にマイクロチップを入れて管理するような世界です。
「んなアホな!!」と思いますよね。「急に陰謀論か!!!」と。
でも、本当ですよ。これを画策しているヤツらがいます。どんな組織かわかりますか?
「世界【経済】フォーラム」というところです(苦笑)。
テレビのニュースでもよくでますよね(「ダボス会議」とか)。日本の著名人も参加してますよね。数年前の情報ですが、本当に言われていたことですよ(たぶんまだ諦めていないと思う)。
こういうのを陰謀論だとバカにしていた人たちは今何を思っているんだろ。何も考えてないか(笑)。
ちなみに、私の所属している経営者団体のファウンダー(創始者)も、この世界経済フォーラムのダボス会議に毎年参加しています。
私は今の経営者団体を立ち上げた人として、このファウンダーをとてもとても尊敬していました。なので、世界経済フォーラムのダボス会議に参加しているのも、単純にピュアで何も知らずに参加しているのではないかと希望的観測をしていたんです。
経営者団体に入って数年もすると、彼の金に汚いウワサや身勝手で強引な言動などの話をよく聞くようになりました。今では世界経済フォーラムのダボス会議に参加しているのもうなずけます。ここは自分さえよければいい人たちの集まりなんでしょう。
マイクロチップの話は多少飛躍した話に感じるかもしれませんが、つぶさにみていけば、それが冗談ではないとわかると思います。経済のために人間を管理したほうが合理的なので、個人の幸せとかは忘れてください、という話です。
ここまで来ると、合理化すること、効率化すること、合理的に考えることは「悪」のように感じるかもしれません。しかし、それは違います。ひとつの事実はポジティブにもネガティブにも転びます。「合理化」「効率化」そのものが良いとか悪いとかではなく、その向こう側にあるものに目を向けなければ本当のことはわかりません。
つまり、何のために「合理化」「効率化」するのか、という問いを持てるかどうかが重要だということです。「why」が重要なのです。包丁だって「why」を間違えたら人を殺す凶器になってしまうわけです。
今行われているのは「経済のための合理化」であり、大企業、経済を使った経済的支配です。その金看板が「便利」なわけで、「便利」をエサに私たちを釣っているわけですが、お話してきたように、「便利さ」と人間の幸福度には因果関係も相関関係も実はほとんどないといえます。
それなのに「経済のための合理化」を目指しつづけているのは、これを声高に叫ぶヤツらの「why」に「支配」「征服」などの悪意があるからです。こいつらがラスボスです。そしてそういうヤツらはなかなか表に出てきません。
繰り返しますが、「合理化」「効率化」そのものが間違っているわけではありません。そしてこれらは「手段」です。では、私たちは何のために(why)それをやるべきなのか。
さて、ここでまたひとつ持論をお伝えします。
- 人間関係は非効率であるべきだ
というものです。
ビジネスマンはなぜ接待をするのでしょう?クレームが発生したときにメールでお詫びするのはなぜ不謹慎だと感じるのでしょう?zoom呑み会よりリアル呑み会のほうがなぜ楽しいのでしょう?
これらは合理性とは対極にありませんか?
合理的に考えるなら接待なんてしないほうがお金と時間が節約できますし、メールでクレームのお詫びをしたほうが、電話で双方の時間を使うよりも効率的なはずです。呑み会もzoomであれば店までの移動時間も交通費も節約できます。それなのになぜ?
こういったことは枚挙に暇がありません。
マーケティングとは、いかに効率的に利益を上げるかを追求したものといえます。昔ある人に言われました。マーケッターは組織づくりが下手だと。なぜなら人間関係に効率を求めるからだと。
それからその言葉が頭から離れませんでした。いろいろ考えた結果、人間関係は非効率であるべきだという結論に私は至りました。
つまり何が言いたいかというと、すべての「合理化」「効率化」は、経済のためではなく、非効率な人間関係のために行われるべきだということです。「合理化」「効率化」して生まれた時間やお金は、非効率な人間関係のために使われることで人は幸せになれるのだと考えます。
これこそが、「合理化」「効率化」の「why」であるべきだと思うのです。
そうしなければ人間はおそらく経済のために犠牲になります。いや、正確に言えば経済的支配(経済による支配)の犠牲になります。
最後にとても示唆に富んだ動画をご紹介します。これを見て、みなさんは何を感じるでしょうか?
行き先が「Nowhere」になっています(苦笑)。
さて、本当にしょうもないくらい長い上に、超々々々々々々思想の強いコラムになってしまいましたが、冒頭でお話したとおりコロコロニュースはいったん今日で終わりにしようと思います。
来週からは「コロコロニュース Z(ゼット)」がはじまります(爆)。ウソです。あ、でもたまにガマンできずに号外を出しちゃうかもしれません!
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール

-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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