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2025年03月07日 デザイン メールマガジン 人間の能力 広告 所感 【第758回】「バカの砂漠」から脱出する方法とは?

3月に入りました。卒業式シーズンですね。

我が家も長男が高3、次男が中3ということで卒業者が2名。早い。ついこの間、入学したばかりだったのに。。。

先日ですが、長男の高校の卒業文集を読みました。

長男の卒業文集のタイトルは「ある考え」。なんだその哲学的なタイトル。内容もまあまあ哲学的で、長男は高校の3年間で非常にやる気が出ない時期があったんだそうです。

「ある考え」に支配され、やる気がでなかった長男を救ったのは友人だった、という内容で、起承転結的な側面からも親バカですがまあまあ読ませる文章でした。

そんな長男を「ある考え」から救った友人、梶原くん。長男の作文の最後にも梶原くんの名前が登場するのですが、私が感銘を受けたのは長男の作文よりも梶原くんの作文のほうでした。

梶原くんの作文のタイトルは「津久井とぼく」(爆)。

大事な卒業文集のテーマをうちの長男に振り切るという大胆な意思決定をした梶原くん。彼の作文の一部をここで紹介します。

読んだ感想は、「うちの長男、大丈夫か?」でした(笑)。

これはモテない男の典型ではないか。。。そもそもK-POPは好みはあれどクオリティは高けーだろ(笑)。

そんな長男ですが、つい先日、半笑いで「大事な報告がある」というじゃないですか。

聞くと、卒業間際にして彼女ができたらしい(驚)。

ニヤケヅラの長男をみて私も気にしていない素振りを見せながらもニヤついてしまいました。

そんな長男は、この春から名古屋の大学に通うことが急きょ決まりました。ヨメの実家が愛知県豊田市なので、そこから通うそうです。いきなり遠距離恋愛です。

それにしてもあっという間ですね。長男が高校に入ったころから、「家族が揃って夕飯を食べられるのは、短ければあと3年くらいなんだな」とぼんやり考えていましたが、まさかそのときがこんなに早く来るとは。

長男は第一志望の立教大学、第二志望の法政大学の受験に見事に撃沈し、都内の滑り止めには行かず、1校だけ受けていた他県の大学に行くことに急きょ決まったのでした。

こちらはまさかそんなことになると思っていなかったため、3月も順調に会食や出張の予定を盛り込んでしまっていました。そのため、家族で夕飯を食べられるのはあと数えるほどしかありません。

正直、さびしいですね。私自身も実家を出たのが大学入学と同時でした。おとんやおかんは何も言わなかったけど、私はひとりっ子だし相当さびしかったんじゃないかな。

なんでもないことが幸せだったんだな、と思います。でも仕方がないですよね。順番ですからね。ここから「津久井家第2章」がはじまる、という感じです。虎舞竜のロードくらいつづきます(笑)。

ではコロコロニュース。あんまりないのでサクッとひとつだけ。

どーも、中抜き平蔵です、またお会いしましたね

なんでも344億の予算に対して原材料費はめっちゃ安いとか。こういう人がいう「増税しかない!」「減税したら国がたいへんになる!」って本当ですかね(棒読み)。

さて、本日のお話です。

 

●文字がまだ読めない5歳児が歯医者さんの看板を見て「歯医者だ」と理解できた理由

冒頭の長男が5歳のときのお話。家族を連れて練馬の大泉にある私の実家に帰ったときのことです。

バスに乗っているとき、ある看板が見えました。そこで、私は5歳の長男に「あれ、何屋さんかわかる?」と聞きました。

こんな看板のお店

長男は少しだけ考えたあと、答えました。「歯医者さんでしょ?」

長男は当時5歳ですから、当然ながらまだ漢字は読めません。ひらがなも少しだけしか読めませんでした。

なぜ歯医者さんだとわかったか聞いてみたところ、真ん中の黄緑色の歯のモチーフの造形を見てわかったということなんです。

デザインというのは

  • 描写が具体的
  • 描写が抽象的

こんな切り口でも分けることができます。

たとえば、リンゴをデザインする時のことを考えてみます。

こんなリンゴを描けば、そのリンゴが酸っぱそうか甘そうか、熟しているかいないか、まで伝えることができそうです。


ここまで来るとデザインというより「絵」「イラスト」になりますが。。。


逆に、シンプルにそぎ落とせば落とすほど、抽象的な表現になります。たとえばアップルのロゴマークのように。

私が長男との会話で驚いたのが、抽象化された黄緑色の歯のモチーフを見て長男が歯医者だと理解したこと。

大人ならわかるかもしれませんが、またはそれが歯の写真だったらわかるかもしれませんが、抽象的な歯のモチーフを5歳の子どもが理解できるとは思いませんでした。

たとえば、長男は他にも3歳の時に京王線のロゴを覚えていました。

バスや電車、他にもパンフレット等に載っている「KEIO」のロゴを見て「京王線だよ」とよく言っていました。小田急線も同様でした。当然、文字はまだ読めません。


京王線のロゴ

そう考えると、子どもは「言葉」よりもまず「画(え)」から入るということがわかります。京王線のロゴのように、たとえ文字でもそれを画(え)として認識しています。

当たり前っちゃ当たり前なのですが、これは結構重要な視点だと思います。そして、思いのほか抽象度の高いデザインも理解できる可能性があります。

小さい子供がターゲットの商売の場合、子どもに理解してもらえるか、覚えてもらえるか、という視点でデザインを組み立てているかは思ってる以上に重要なのです。

それにしても、なぜ子どもは「言葉」よりも「画(え)」から入るのでしょうか?

「言葉を覚える前に「画(え)を見ているからじゃないの?」という回答が聞こえてきそうです。その通りでもあり、それだけだとちょっと浅い気もします。

「画(え)」はある部分で「言葉」を超えます。

たとえばこのイラストをご覧ください。これがなにかわかりますか?

「バカにするな!」と言われそうですが、「花」ですよね。それこそ未就学児でも答えられるでしょう。そして、日本語を話せない人でも「これは花だ」と理解できると思います。

この単純な事象にデザインの凄さが盛り込まれています。「画(え)」は「言葉」を超える、ということです。

ちなみにこの絵は私が描いたものでして、デザイン会社の社長が描くクオリティでないことはとても申し訳なく思っていますが(笑)、そんな絵ですら、これを見た子どもも海外の人も、99%が「花」と答えると思います。

これが、ちょっとふわふわしていますが子どもが「言葉」よりも「画(え)」から入る理由なのではないかと考えます。脳の言葉を司る部分ではないところで処理しているというか。。。

他にも「らせん」を言葉で説明してみてください、と言われたらどうでしょう?できますか?難しくないですか?

では、ジェスチャーやイラストだったらどうでしょう?できそうですよね。これが「画(え)」が「言葉」よりも優れている点です。言葉が通じなくても理解できたり、言語化が難しいものを説明できる、などです。

ところで、先ほどの花のイラストの例でいくと「何の花かわかりますか?」という質問には答えられないのではないでしょうか。

そうです。ここで言葉が必要になってきます(もちろん緻密な絵で何の花かわかるようにはできますが)。

他にも、「コンサルティングの仕事を画(え)にしてください」と言われると困ると思います。

このあたりに言葉の重要性、優位性があります。

 

●目立つか、認識されるかは非常に○○○なもの

さて、子どもは言葉とりも先に画(え)を認識するとお話しましたが、では、おとなは言葉と画(え)のどちらが認識が早いのでしょうか。

人間の認知機能的には、おそらくおとなになっても「画(え)」→「言葉」の順番でしょう。子どもがそうであった名残なのか、だいたいの人がそうだと考えられます。

しかし、おとなになってから、また特にビジネスのシーンにおいては、必ずしも「画(え)」→「言葉」とならないケースも散見されます。「言葉」が先か「画(え)」が先かは、厳密に言うならば「状況による」という両論併記の回答になってしまいます。

私がデザインをディレクションする時に重要視していることがあります。名付けて、「デザイン相対性理論©」。

A4の真っ白な紙を、文字ばかりで埋めてみます。その中に1つだけ画を入れてみます。当然ながら「画」から目に入ります。

新聞の中の写真や図が目立つ理由はこれです。

逆に、A4の紙に「画」ばかり入っている場合、その中のひとつだけが文字ならば、大きさにもよるけれど「言葉」から目に入ります。

例としてかなり単純化してますけどね

歌舞伎町などの看板だらけの繁華街では、看板の効果は期待できません。看板はすでに何万もあるからです。スーパーの食品売場にある大手食品メーカーのPOPは、写真を多用した「画(え)」に偏ったデザインばかり。目立ちません(=認識されづらい)。

これは、「画(え)」→「言葉」の順で目に入るケースのほうが圧倒的に多いという考えのもとデザインされてしまっているからだと考えます。

このように、目立つか、認識されるかは非常に相対的なものなんですね。

なので、だからこそ私はどうしても読ませたいメインのキャッチコピーが画(え)に殺されないように目立たせることを意識してデザインの指示をします。

こちらはビズアップのお客さまで、毎月コンサルティングに入らせていただいている秩父の電気店かつ携帯ショップ、パナピットアザミさまの看板です(Googleストリートビューより)。

これは読ませたいコピーをふんだんに読ませるための仕掛けをしています。

文字に強弱をつけて踊らせることで、まず真っ先に視線を奪うように計算しています。写真はむしろ使いません。携帯やスマホのイラストよりコピーを目立たせ、それが遠目で見たときにも同様かのシミュレーションを行う、などをしてデザインされたのがこの看板のデザインです。

こういう看板でありがちな失敗例は、家族や子どもが携帯で電話をしているような素材写真を使ってしまうこと。

こういうのとか

こういうのとかを使いがち

こういうのを使ってしまうと、「携帯に関する写真だな」「携帯ショップなんだろうな」くらいは伝わっても、看板にあるようなお客さまの強み、ユーザーにとってのメリットは伝えられません。

このように、「言葉でなければ伝わらないこと」を理解してもらううえで、画(え)とのバランスを考えないと、画(え)に殺されて一番伝えたいことを伝えられなくなってしまいます(メリコの「リ」が損なわれる)。

一方で、言葉よりも画(え)で認識させたほうが圧倒的に良いケースも、もちろんあります。

一例を挙げるなら、それこそロゴマーク。

以前、弊社のスタッフと外出先で待ち合わせする予定があり、先に目的地付近についた私は、エクセルシオールカフェというドトールコーヒー系列の喫茶店で社員を待っていました。


最近だとロゴタイプしか使っていないかもですが、昔はこれでした(スタバのパクリ感)。

で、目的地付近についた社員が私に電話をかけてきました。

「津久井さん、エクセルシオールカフェが見当たりません」

どの辺りにいるか確認したところ、道路の反対側、すぐ近くまで来ている様子。

結局、社員はすぐ目の前にあることに気づいたのですが、なぜその社員はすぐにエクセルシオールカフェを見つけられなかったのでしょうか。

それは、ロゴが店のファサード(入口付近)になかったからです(店名の文字だけだった)。

エクセルシオールカフェのロゴは、比較的多くの人に認知されていて、待ち合わせをするときなどはまさしくロゴを目印に向かったりなんかします。

せっかく認知されたロゴを使わないというのはたいへんな機会損失。だって、うちの社員は私との待ち合わせがあったから確実に来店するけれど、そうじゃなく喫茶店を探している人は気づかず来店を逃す可能性があるからです。

そしてこれは、「ロゴが認知されている」場合に限った話ではありません。

たとえば、まさにコーヒーを飲みたくてお店を探している人がいて、コーヒーカップやコーヒー豆をモチーフにしたロゴがでかでかと出ていたらどうでしょう。一発で認識されます。

ロゴに限らずとも、「喫茶店っぽい店構え(メリコの「リ」)」だったらどうか。

これは、まず画(え)を見て、その画(え)で判断しているわけです。言葉ではないわけです。

このケースでも言葉での理解のほうが早いのであれば、床屋さんのような店構えで喫茶店をやっても「コーヒー」と書いておけば集客に影響しないはずです。

しかし、これは明らかにうまくいかないだろうということは想像に難くないですね。メリコの「リ」がズレまくっていますね。

ちょっとまとめると、

  • 人間の認知は「画(え)」→「言葉」の順がデフォルトと考えられる
  • しかし、これはまわりの状況など相対的なもので一概にはいえない
  • 「画(え)」のほうが知覚されやすいからこそ、「画(え)」に「言葉」が殺されないようにデザインで配慮する
  • 「画(え)」のほうが圧倒的に伝わるケースで「画(え)」を使わないのはたいへんな機会損失

となります。

 

●猫耳をつけた女性が「本当の猫ではない」とわかるために必要な能力

話を戻しますが、5歳当時の長男は、なぜ歯のモチーフのロゴを見て「歯医者だ」と認識できたのでしょうか。

というか、なぜ歯のモチーフを「歯だ」と認識できたのでしょうか。

ちょっとこちらの広告をご覧ください。

これって「動物園」の文字が細工してあります。しかし、「動物園」と読めます。なんででしょうか?

犬種が違う犬をすべて「犬だ」と認識できるのはなぜでしょうか?それが子犬であれば「犬の子どもだ」と認識できるのはなぜでしょうか?

不思議ですよね。四足歩行の生き物は犬以外にもいますし、同じ犬でも犬種によって顔つきが違うのに。

さらにこちらの写真、「猫ではなく人間の女性だ」と認識できるのはなぜでしょうか?(笑)

「あたりまえだろ!」と言われそうですが、その理由を説明できますか?なぁぜなぁぜ?

ゴリラにAppleのロゴを見せても、おそらくそれが「リンゴだ」とは認識しないはずです(特別な訓練を受けていなければ)。

これは、「ゲシュタルト能力」という人間の能力が成せる技なのです。おそらく他の動物にもありますが、特にこの能力が高いのが人間でしょう。

ゲシュタルト能力は、簡単にいえば、たとえば2つ以上のものを見てそれが仲間だとか、どっちが上位概念かとかそういうことがわかったりすることです。

小さいお子さんがいるとわかると思いますが、子どもははじめは何でも口に入れてしまいます。食べ物でなくても、です。

これがゲシュタルト能力が身についてくると、見ただけで(口に入れて確かめなくても)それが食べ物だ、または食べ物ではないと認識できるようになります。

乳幼児のころからこれが育まれていくわけです。

小学生のころによくわからないテストをしませんでしたか?「仲間はずれはどれでしょう?」とか、「この図形を回転させると、ア〜エのどれになるでしょう?」とか。

あれって、ゲシュタルト能力を測定するテストなんですよね。

ゲシュタルト能力が高い人は「一般的に」仕事ができる人です。

ゲシュタルト能力が高い人は、物事の上位概念、下位概念がわかります。たとえば、

  • 我が家の「ミケ」は三毛猫であり、
  • 三毛猫は猫であり、
  • 猫は哺乳類であり、
  • 哺乳類は動物であり、
  • 動物は生物である

ということがわかるということです。

これは簡単な例で誰もが当たり前と感じるかもしれません。むかし理科の授業で習ったよ、と。

しかし、これ(上位概念、下位概念)が仕事になるとわからなくなってしまう人が多い。仕事でもこれができる人は、仕事に優先順位をつけられる人で効率的に仕事を進められたりします。

優先順位がつけられる人は当たり前ですが、仕事ができる人ですね。

また、「パターン認識」にもゲシュタルトは関係していると考えます(優先順位も一種のパターン認識ですが)。

たとえば、その仕事が過去に手がけたものの応用で行けるかどうかとか、過去の仕事のどれに似ているか、というのはまさにゲシュタルト能力です(「仲間はずれはどれでしょう?」テスト)。

なので、総じてゲシュタルト能力が低い人は仕事ができないことが多いと思われます。職人さんなどの技術職で、ひとつの技術に集中できる人はさほど問題ないかもしれませんが、マルチタスクをこなさなければならない職種の人には必須です。

しかし、ゲシュタルトには注意も必要です。安易にゲシュタルトに頼ってしまうと問題が生まれます。

たとえば、「隠れた前提」を疑わなくなってしまうことがあります。「隠れた前提」とは、以下の例文ようなものです。

  • 「新入社員のあの若い女の子には、柔軟な発想を活かしてあの企画をやってもらう」

私が以前通っていたグロービス・マネジメント・スクールの「クリティカル・シンキング」という科目で真っ先に習ったこと、それは「隠れた前提を疑え」ということです。

この例文の隠れた前提はどこにあるかというと、「若い女の子」=「柔軟な発想」です。若いからといって柔軟な発想の持ち主とは限りません。これが「隠れた前提」というやつです。

これ、つまり「若い女の子」=「柔軟な発想」が安易にゲシュタルトに頼ってしまうということです。

我々の業界では、「デザイナー=クリエイティブな人」という「隠れた前提」があります。実際はデザイナーだからといってクリエイティブな発想ができる人とは限りません。

絵が好きで、絵を描くことが得意だったからデザイナーになった、単に「絵が上手な人」という人もいるわけです。

ここを「デザイナー=クリエイティブな人」と決めつけてしまうといろいろなところで不具合が出ます。

こういった「隠れた前提」は、実はいろいろなところにはびこっています。その代表格が「レッテル貼り」です。

たとえば「中国人は〇〇だ」「韓国人は〇〇だ」といったのもこれです。中国人だって韓国人だって、ましてや日本人だって良い人と悪い人がいるのは当たり前です。しかし、そこを切り分けて考えられずひとまとめにしてしまうのはゲシュタルトの悪い例です。

ゲシュタルト能力は便利です。過去の経験から、さまざまなことを効率的に進めたり時間を圧縮することができます。

なので、仕事ができる人はこの能力が高いといって差し支えありません。「見て、匂いを嗅いで、食べてみないとそれがリンゴだと分からない」という人がいるとしたら、明らかにその人は仕事ができませんよね。

しかし、見てきたようにゲシュタルトにのみ頼りすぎると、本質的な何かを見落とすこともあり得ます。ゲシュタルトは「隠れた前提を生みやすい」とも言えるからです。ここが難しいところです。

基本的にはさまざまなことを「切り分けて考える」「分解して考える」という姿勢が大切になります。「分ければ解る」と書いて「分解」です。

ゲシュタルト能力を活かしつつも、ゲシュタルト能力に溺れない必要があるわけで、ゲシュタルト能力がないのも、ゲシュタルト能力に溺れるのも「バカ」と言われる要因なんですよね。

というわけで、最後に我が家の長男が12歳のときに小学校の卒業文集で書いた作文をちょっとだけご紹介します。

タイトルが「人類の進歩ならぬ、ツクイの進歩」。

出だしから、「自分は一年生から五年生まで、バカの砂漠をさまよっていました。」という一文。「バカの砂漠」!!

内容としては、このままじゃいけないと思って六年生から塾に通い、サルツクイまで進歩したけど、本当に頭のいい人間は学力じゃないということで、判断力と思考力を身につけることでチンパンジーツクイに進化できると。

で、最終的にはニンゲンツクイになりたいそうです。

お父さんも早くニンゲンになりたーーーい!(笑)

 

今回はここまでです!

津久井

投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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