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2024年08月30日 メールマガジン 商品開発 所感 【第733回】最高の商売は○○○業だと思う、の巻

8月が終わります。つまり、2024年も3分の2が終わります。

ビズアップは8月が決算。つまり、今日が今期の最終営業日となります。早いな―。ほんとに早い。

週明けからは、創業から19年目、法人設立から18年目(18期目)に入ります。創業したのが30歳。当時は「若い社長」だったのになー(苦笑)。味のある歳の取り方ができていればいいんですが。。。

本日は最終営業日ということで、来期の事業計画発表会と決起懇親会を予定しています。そのため資料づくりの大詰めなどで忙しい!というわけで朝5時半に起きてコラムを書きはじめました。

では、17期最後のコラムを進めさせていただきます。妙に気合が入ってしまって長いです。あと人によっては内容がキモいです。好き嫌いが分かれると思うので、嫌いな人は読まないでね!

ちなみに今後の予定ですが、来週は普通にコラムを書き(ブランディングについて)、翌週と翌々週は、毎年の恒例企画、ビズアップの成り立ちから6年目くらいまでの「ハードシングス」をお伝えするストーリーをご紹介したいと思います。

それではまずはコロコロニュースから。デカ目のニュースが入ってきております。

社員に「ワク○ソ打つなよ」というビデオメッセージを送っていたのもバレたらしい

より詳しく解説している投稿

南海トラフが「困りごと」としてどう利用されているかわかりやすい動画(2分)

かわいかったので紹介(笑)

それにしても、人間って「今」を見ているだけだと現状の把握ってなかなか難しいですよね。時間が経って「あのときは〇〇だったんだ」とやっと当時の状況を理解できる。

まさにコ□ナ、ワク○ソ関連なんて、3年とか4年経ってやっとそうなってきた感じ。

私はこれを当時、みんなが「今」しか見ていない状態から気づいてコラム含めいろいろな人に発信していましたので、「今」しか見えていない状態だった人たちからしたら当時は「頭がおかしい」と思われていたと思います。

3〜4年前も経っているのに、この件についてまだ「今」しか見えていない人がいてさすがに鈍感すぎるだろと思いますが、私が「頭がおかしい」と思われる覚悟で当時発信していた内容のとおりに実際に世の中がなっていますよね。ほぼほぼ外していないです。

ワク○ソを強制する方向に向かおうとしたり、食糧難を演出したり。実際に米が手に入りづらいですよね。残念ながらこれらは計画通りですよ。国が国民を第一に考えていると思ったら大間違い。

「私の言ったとおりになっている」といいましたが、これ、私がすごいのではなく、当時気づいていた人は自分で調べてみんなほぼ近い結論に至っていました。

コ□ナについてもワク○ソについても、日米合同委員会についても、こういうのを陰謀論とバカにしている人たちより、何倍、何十倍、下手したら何百倍も時間をかけて調べています。この数字はわりと大げさではないと思います。陰謀論と切り捨てる人たちほど、大して調べもせずにバカにしてきます。

話は変わらないようで変わりますが、こういった陰謀論的な話だけでなく、ビジネスにおいても「今」のときには気づけなかったことが、あとになって気づけるようになること、ありますよね。

過去のコラムを見直していて、「ビジネスは困りごとの解決である」といったようなテーマのものを何本か見つけました。これらをまとめたコラムが1本かけそうだなと思い、今回のコラムの筆を執りました。

過去を振り返ると、そこに「型」や「パターン」といったものが見えてきます。戦後の日本から現代に至るまで、人々の欲求はどのように変化してきたのか、こういったことを「困りごと」ということを軸に話をしてみます。

大雑把に、

  • ドラマ「まんぷく」の時代
  • 日清食品営業マン時代
  • 困りごとを生産される時代

というような流れでお話します。これだけだと何をいっているかわからないと思いますが(汗)読み進めていただければ分かるかなと。

ではいってみましょう!

 

●「困りごとの解決策」が「モノ」に集中していた時代

すっかりテレビ嫌い、マスコミ嫌いになった私が、まだよくテレビを見ていたころの話です。

NHK朝の連続ドラマ「まんぷく」をご存知でしょうか?

まんぷくは、日清食品の創業者である安藤百福さんとその奥さんをモチーフにしたドラマで、2018年の秋から2019年の春まで放送されました。

私は会社員時代に日清食品をメインクライアントにしていましたので、思い入れもあってこのドラマを見ていました。面白かった。

多くの人が、ビジネスは「世の中の困りごとを解決する手段」だと考えています。これはもちろん正解のひとつだし、むしろ当たり前といえば当たり前です。

ドラマ「まんぷく」では、「ああ、ビジネスって困りごとの解決なんだな」と改めて実感できるシーンがいくつか出てきます。

たとえば、主人公の立花萬平(=安藤百福さん)はドラマの中で塩をつくる製塩業をはじるのですが、きっかけは、戦後のモノ不足の時代にご近所のラーメン屋さんが本来の自慢の味を再現できず悔しい思いをしている、その原因が「塩が不足しているから」ということにヒントを得て思いつきます。

そして、萬平の奥さん(役:安藤サクラ)が出産後の肥立ちが悪く寝込む日々がつづき、その原因が食べ物の不足からくる栄養失調だということから、同じことで困っている人を助けるべく栄養食品の開発に新規事業として取り組みます。

安藤百福さんは日清食品を創業する前にこのようなビジネスを行っていたんですね。とても単純な話なのですが、ドラマを見ていると「ビジネスは困りごとを解決すること」ということがある種のリアリティをもって伝わってきます。

その後、日清食品がどんな商品を開発したかはご存知のとおりだと思いますが、世界初のインスタント麺「チキンラーメン」は幾度の失敗を乗り越えて商品化されました。

それは「家庭のお母さんの『忙しい』という困りごとを解決したい」という想いが根底にありました。

「まんぷく」の時代は、まさにこのコラムでもよくお話する「3つの時代」の「モノの時代」です。「3つの時代」とは、私の師匠である故伊吹卓先生が提唱した考えで、

  • モノの時代
  • デザインの時代
  • 色の時代

というふうに時代はわけることができる、そして、色の時代の次にまたモノの時代に戻り繰り返す、こういう理論です。

モノの時代は、とにかくいろいろなモノがなかったわけです。「塩が足りない」「栄養が足りない」「時間が足りない」もあれば、「食べ物を腐らせずに保存する機械が存在しない」「洗濯を半自動でやってくれる機械が存在しない」などもあり、

  • 足りない
  • 存在しない

のないないづくしです。こういう時代はつくればつくるだけ売れます。デザイン性とかほとんど関係ありません。

言い換えるならばモノの時代は「困りごとが多い時代」です。そしてその困りごとの解決は、ほぼ「モノ」で達成されます。「塩」をつくる、「健康食品」をつくる、「インスタント麺」を開発する、「冷蔵庫」を、「洗濯機」を、といった具合です。

また、このころは良い意味で1社独占ができなかった「つながりすぎていない」時代。

たとえば、大阪の泉大津(ドラマの舞台)でつくった塩をその日のうちに北海道に納品することは当時はほぼ不可能だったはずです。仮に物理的には可能でもコストが合いません。大阪では大丈夫でも北海道ではダメ。だから北海道にも製塩業の会社ができます。

つまり、「困りごとを解決する」がビジネスであれば、「困りごとを解決する組織」が会社であり、つながりすぎていない時代には、「解決の担い手」である会社がたくさん必要とされました。

「塩をつくる会社」は大阪にも北海道にも必要だし、それを運ぶ会社(運送業)も大阪にも北海道にも必要です。

この時代は起業家にとってとてもチャンスが多い時代でした。

 

●「モノ」では困りごとが解決できない時代へ

さて、時代が流れると困りごとの質が変わります。

「栄養が足りるようになった」は「もっと手軽に栄養を取りたい」になりますし、「冷蔵庫は足りているがもっとオシャレな冷蔵庫がほしい」になります。

車は足りるようになりましたが、「人よりいい車に乗りたい」、「他の人と同じ車はイヤだ」という新しい「困りごと」が出現しはじめます。

主に

  • 面倒くさい
  • 失敗したくない
  • 人より良い思いをしたい
  • 自分の「好き」にこだわりたい

こんなところが出現しはじめると考えます。ところが、これも時代が進んでくると、

  • 面倒くさい
  • 失敗したくない

という2つの困りごとについてはどんどん解消されていきます。

コンビニひとつとってもそうです。コンビニは品揃えと立地から多くの「面倒くさい」を解消しています。携帯電話が普及して公衆電話を探す必要もなければ、待ち合わせ場所を事前に決める必要すらほとんどなくなってきました。

こうしてカンタンな困りごとの解決策は飽和してしまいました。残ったのは「人より良い思いをしたい」とか「自分の「好き」にこだわりたい」といったふわふわしたもの。

なので、今の時代のビジネスは明らかに「モノの時代」よりも難しいです。「モノで解決できる困りごと」がものすごく減っている中でビジネスをやろうとすると、「より高度な困りごと」を見つけなければなりません。

新しい技術を開発するにも、より高度な困りごとを解決するための、より高度な技術が必要になります。これは「困りごとの抽象度が高くなっている」と言い換えて良さそうです。

「お腹空いた」から「心が満足できない」になったわけです。心の満足は人それぞれ違いますから抽象度が高く、より多様化します。

多様化すればするほどターゲティングやブランディングが重要になってきます。

「誰にとっての価値なのか」
「誰のどんな困りごとを解決できるのか」

この答えがとてもわかりやすかった時代が終わり、ものすごく難しい時代になってしまった。小学生でも解ける問題しか出題されなかった時代から、天才科学者しか解けない問題ばかりになったようなものかもしれません。

このコラムをよく読んでくださる方はお気づきかもしれませんが、これが「モノの時代」の次に来る「デザインの時代」の特徴です。

ここで私が会社員時代の「自慢話」をしたいと思います。たっぷり自慢したいのでちょっと長いですよ(笑)

冒頭でチラッと触れたように、私は会社員時代に日清食品を担当していました。きっかけは、それまでメインクライアントだった紀文食品からの仕事がほとんどなくなってしまったからです。

なぜ紀文食品からの仕事がなくなってしまったか。抽象度の高いことをいうならば、やはり時代の変化=ニーズの変化に紀文食品がついていけなかったからではないでしょうか。

業績に暗雲が立ち込めていた紀文食品から全納入物25%大幅値下げという無理難題を求められ(値下げしたら大赤字になる)、私たちの会社セイコードーはその会社で1番大きなクライアントだった紀文食品の仕事を手放します(このあとから紀文食品はあからさまに業績を落とし、縮小していくことになります)。

しかし、紀文食品の売上の穴をなんとしても埋めなければなりません。そんな折、日清食品からチャンスが舞い込みます。

月数万から多くて10万円くらいの取引しかなかった日清食品から、400万の仕事の引き合いが舞い込みます。このチャンスをものにしただけでなく、その後も仕事のお付き合いがつづくことになります。

その結果、毎月数百万から1000万くらいの売上を日清食品から立てられるようになりました。我々のような商売の会社からすると、1社でこの金額は大きいです。

さて、なぜ私はこのような活躍ができたのか。そこにはあるニーズがありました。

当時の会社セイコードーは、パッケージデザインや販促ツールのデザインを行い、印刷して納品する会社でした。ここには、たとえば「パッケージ」や「パンフレット」、「販促パネル」のような「モノ」が存在します。

では、これらの「モノ」は、日清食品にとってセイコードーだけが提供できるような「モノ」だったのでしょうか?もしくは、他の業者でも提供できるけれど、セイコードーが圧倒的に商品クオリティが高かったのでしょうか?

もちろん答えはノーです。つまり、日清食品の担当者さんのニーズは「モノ」にはありませんでした。日清食品に限らず、この時代は「モノ」は十分に行き渡っていましたから、ニーズはモノ以外に移動していました。

そうでなければ、競合が電通、博報堂、ADK、大日本印刷、凸版印刷といった一流の「モノ」を提供できる会社ばかりの日清食品から直接仕事をもらうことなどできません。

では、それらの競合の間隙を縫ってどのようにして選ばれるようになったか。

日清食品で当時お付き合いしていた部署は、主にマーケティング部というところでした。

このマーケティング部は当時は激務だったようで(今は知りません)、商品開発からCMの打ち合わせから販促物の企画から手配から納品(全国の営業所に送るなど)から何から、すべてマーケティング部の方々が担当していました(花形部署であるからこそですね)。

およそ4年の任期が終わって他部署に異動になったときには「出所する」という言葉が冗談で使われるくらい忙しい部署だったのです。

私がやったのは、簡単に言えば「何を企画し納品するか(=モノ)」ではなく、「どうすれば担当者さんが楽になるか」をベースに考えたアクションでした。

たとえば、今まで担当さんが時間を見つけてエクセルでがんばってやっていた全国への販促物の発送(在庫)管理をこちらで引き受けました。

日清の営業所(全国にある)の担当さんの出荷指示が楽になるように、こちらで指示書のフォーマットをつくってあげて営業所に配ってもらいました。

営業所からマーケティング部に届いた指示書は、マーケティング部の担当者さんがこちらに転送するだけですむようにしました。

それらのオペレーションは、私が不在でも自社内が対応できるようにデータベースソフトでシステムを自作し、カンタンでわかりやすい作業に落とし込みました。

こういった面倒くさいことは、「一流のモノ」を提供している電通や博報堂などの競合他社からしたら、「なんでオレたちがそんなことまでしなきゃならねぇんだよ」という感じだったはずです。そこでひとつ勝負アリ。

そして日清食品へは用事のあるなしにかかわらず毎日通っていましたから、お客さまからしたら私にいちいちアポの連絡をしなくても打ち合わせが可能でした(どうせ来てるだろうと思ってもらえる)。

競合のコンセプトが「一流クリエイター集団」なのに対し、私の営業コンセプトは担当さんの「部下」とか「秘書」とか「アシスタント」でした。

とにかく、「こいつ、マジで仕事やりやすっ!!」と感じてもらうにはどうしたらよいかを常に考えていました。

そして当然ながら小さい会社なので大手印刷会社や広告代理店よりもコストメリットを出すことができます。

日清食品さんからしたら仕事が楽になりコストが落ち、品質も維持されている状態ですから、頼まないほうがバカらしい、というレベルです。

ここまでやると他の担当者やグループの方から勝手に声がかかるようになります。「うちの仕事もお願いしたい」と。

こうして日清食品マーケティング部内に「セイコードー旋風が起こった」わけです(当時の日清担当者さんに実際に言われた言葉)。ちなみに大日本印刷と凸版印刷の販促担当者は私のせいで左遷されたそうです。

広告代理店含む多くの競合企業は「モノ」で勝負していました。「うちのデザインのほうがいい」「私たちの企画のほうが優れている」など、日清食品の困りごとはモノで解決できる、と考えていた(というかそんなこと考えもしなかった)わけです。

モノが飽和したデザインの時代には、これらの勝負は「差」にしかならないことがほとんどです。私がやったのは「差ではなく違い」を出すということでした(ブランディングの超重要な考え方です)。

その「違い」が「担当者さんの困りごとを解決する」=「担当者さんを楽にしてあげる」だったわけです。

 

●困りごとの解決から、次の時代へ行くには?

ビジネスが困りごとの解決だとすれば、困りごとがこの世にないとビジネスは成立、発展しないです。

感動的なストーリーのほとんどが、不幸になる人がいないとなかなか成り立たないのと似ています。人の不幸がない感動って、スポーツくらいしかないわけです(あとひとつ、後述しますけど)。

たとえば、お医者さんの究極の目標、理想は「医者がいらない誰もが健康な世界」と言っても良いと思います。しかし、これでは医者はビジネスできません。ここには利益相反とも呼べる現象が起こってしまいます。

世の中が便利になって、困りごとの大半においてすでに解決手段が存在する時代。儲からないんです。

そもそも「株式会社」の存在意義や成り立ち、歴史を考えるなら、困りごとが解決したら会社も解散すればいいんですが、そうはいきません。多くの企業は困りごとの解決よりも会社の存続と利益を追求することが目的となってしまいました。

困りごとの解決よりも利益追求を優先するとすれば、やることはある程度決まってきます。

  • 売上を上げる
  • コストを下げる

基本的にはこの2つしかありません。

この2つのうち、大局的に見て売上を上げるのは今は難しいという話をしてきました(あくまで大局的に見て)。困りごとが少なくなり、困りごとの内容も抽象度が高くなってしまっているからです。

そうなってくると、売上を上げることを目指しつつもコストカットは利益アップのためにはマストというわけです。

世の中、とても便利になりました。新幹線や飛行機が充実して、1日あれば大概のところには移動できます。日帰りだって国内なら余裕です。インターネットが普及して、調べたい情報はほとんど調べられます。しかもすぐに。調べごとのために図書館に行くとか、そういう必要はありません。

夜中にお腹が空いたらコンビニに行けば食べ物を調達できます。スマホ1台あればそれなりに仕事ができますし、Zoomなどのビデオ通話システムが普及し、もしかしたら新幹線や飛行機だって必要ないかもしれない。

確実に便利になっているのに、私たちは幸せになったでしょうか?忙しさが解消し、家族で過ごすための十分な時間と給料を得られるようになったでしょうか?なっていないですね。

なぜこんなに便利な「困りごとのない世界」なのに幸せになっていなんですか?おかしくないですか?

さて、経営において一番かかるコストが人件費といっても過言ではないなわけですが、さまざまな便利なものがビジネスでも活用されたのに私たちが幸せになっていない理由、それは、人が不要だからです。

たとえば、毎日ひとりあたり10時間かかる作業があるとします。「便利なもの」ができたおかげで、これがひとりあたり5時間に圧縮できたとします。

このとき、資本家は何を考えるかわかりますか?雇用をひとり削って、ひとりに10時間で2つ生産させようとします。

「便利なもの」が人を幸せにする道具であるなら、作業時間が5時間になっても2人雇用しつづけ、同じ給与を払いつづけなければなりません。人々は働く時間が半分になったのに、給与は変わらない。

しかし、資本家はそれをしません。資本家は、より利益を出すために人を削ります。これが、「便利なもの」ができているのに私たちが幸せになっていない理由です。

だから、AIが発達しても私たちは幸せにならないと私は断言します。雇用が減るだけです。ひとりあたりの労働時間も変わりません。

現代は、人を削減しないと儲からない時代なのです。

さて、困りごとの少なくなった、または困りごとの抽象度が高くなった時代は儲かりづらいといいましたが、さらに、そうなってくるとどうなるか。困りごとをつくりだす不届き者が現れます。

たとえば、食品添加物が体に悪いことは周知の事実ですが、それを大量に使うとか。食品メーカーは体に悪いけど安い添加物を使って利益を出し、具合が悪くなった人が病院に行き、医療が儲かります。こういう構造の中で一番儲かっているのが資本家です。

医者の99%は「自分がガンになったら抗がん剤は使わない」とアンケートに答え、悪の組織WHO(笑)ですら、「抗がん剤は使うな」と警告をしているのに、この国ではいまだにガン治療に抗がん剤が多用されます。なんじゃそりゃ。

こういったことは今までも分かりづらく行われていましたが、もはや開き直っているんじゃないかと思うのが、ここ数年のコ□ナ、ワク○ソの騒動です。この騒動の後から、開き直りにも似たさまざまな「困りごとを起こして儲けようとする」行為が行われました。

なぜマイナンバーカードをスマホに入れないと病院を受診できないようにしようとしているのでしょう?食糧難だと騒ぎを起こしているくせに、なぜ酪農家さんが牛を殺処分したら補助金を出すのでしょう?なぜ農家の方々に補助金を大して出しもせず、コオロギ企業に大量の補助金を出すのでしょう?

タイムリーな話だと、「米がない!」と騒いでアメリカ輸入のカリフォルニア米を売りつけるのも、スーパーにとっての困りごと「売り物が手に入らない」を起こし、そこにカリフォルニア米という解決策を提示していますよね。なぜド円安の今の日本で日本の米よりはるかに安い米が売られるのでしょうか?何が入ってる?

このように、「困りごとを起こす不届き者」は現代においては実は政治家や官僚です。食品添加物も米の輸入も医療も、法律が絡みますから。

なんだか絶望的な話になってきましたが、一旦まとめます。

  • モノの時代(困りごとがわかりやすく「モノ」に集中しやすい)から
  • デザインの時代(困りごとがモノ以外に移り抽象化、商売が難しい)に移り
  • 最後に色(バリエーション)の時代には人が不要になったり困りごとをつくりだすことでしか儲けることができなくなる

ということになります。ここに「ビジネスは困りごとの解決」というひとつの正解の「限界」が来ます。

さて、ビジネスは「困りごとの解決」でしか成り立たないのでしょうか?困りごとが存在しなければ、商売はできないのでしょうか?そうであれば、資本主義において人間は絶対に幸せになれません。だって、常に困っている状態ですよ?幸せですか?

では、「困りごとの解決ではないビジネス」などあるのでしょうか?

ここからは以前もお話したことがありますが、これからの時代、人々が幸せになるために本当に必要なことは「困りごとの解決策」ではなく、「ウォンツ商品」です。

「困りごとの解決策」はニーズ商品です。それに対し、「ウォンツ商品」は「なくても困らないけどあるとうれしい」というものです。

その究極の商品が、私は「結婚式」だと思います。

普通のレストランに行けば15,000円くらいで食べられそうな料理に30,000円も払って(ご祝儀)誰もクレームを言わないのはなぜでしょう?(ちょっと毒のある言い方ですが 笑)

それは、感動があるからです。愛を感じるからです。人を大切に思えたり、涙を流したり、感謝をしたりできるからです。困りごとの解決策ではなく、こういうサービスこそ堂々とお金を取るべきなんです。

「ウォンツ商品」とか「ほしいけど必要ではない商品」というと、贅沢なイメージがあるかもしれません。しかし、そんなことはありません。

何か高いものを売れとか買えということではなく、感動すること、愛を感じること、喜びを感じることをビジネスにしましょう、ということです。買い手もそこにしっかりと価値を感じお金を払いましょう、ということです。

それはモノかもしれないし思い出になる何かかもしれない。なんでもいい。それこそお花一輪で人を喜ばせることだってできます。

だって、花がなくても生活はできますが、花屋さんは生活に彩りを与え、そこで暮らす人が毎日を好きになるために存在するわけじゃないですか。

ミュージシャンやアーティストなどはまさに生活を豊かにするために存在すると言っても過言ではないでしょう。音楽は食べられないんだから。

葬儀会社さんであれば、より故人を感動的に送り出してあげることにビジネスの価値を見出すことで、結婚式と同じように人の心に訴えるものを提供できます。

美味しいご飯を提供する飲食店は、家で食べられるご飯をわざわざ外で食べる人たちに、美味しいご飯以上に何が提供できるかを考えるべきで、提供するモノ(お酒や食べ物)の向こう側に何があるかが重要です。

喫茶店はコーヒーを飲む以上に居心地の良さやそこでコーヒーを飲んでいる自分が好きになる空間を提供できたらどうでしょう。

お医者さんは病気を治すだけでなく、病気にならない生き方を指導するべき先生なのかもしれません。

リフォーム業であれば。不動産業であれば。いろいろあると思います。

我々のデザインの仕事などもまさにそういうです。ロゴマークがなければビジネスができないわけではありません。

でも、より自分の会社を好きになるために、社員やお客さまに好きになってもらうために、創業時の想いや、辛いことを乗り越えてきた過去をいつでも思い出せるように、つまりビジネス(経営者にとっては「人生」)をより感動的なものにするためにある仕事だと考えています。

ここにこそ活路を見出さなければ、私は人間は資本主義においては決して幸せにならない、それどころか、全体主義の奴隷制度に近い未来が待っていると本気で考えています。

なんだか長文でキモい文章を書いて熱っぽく語ってしまいましたが、そろそろやめておきます(笑)。もう10,000文字以上(原稿用紙25枚以上)書いてますんで。。。でも、ここに書いたことはわりと芯を食っている気がするんだよなー。

みなさんのビジネスは困りごとが起きないと売れないビジネスですか?

 

今回はここまでです!

津久井

投稿者プロフィール

津久井 将信
津久井 将信
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。

かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。

2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。

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