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先週のコラムでお伝えしたとおり、ロンドンに行っておりました。水曜日の夕方帰国。
本日はロンドンでの滞在で感じたことを、ただの旅行記にならないようにお話してみたいなと思います。
その前にコロコロニュース。
先日、私が所属している経営者団体EOの先輩から、ある方をご紹介いただきました。
その方、偶然弊社でロゴをご依頼いただいたお客さまで、コロコロニュースを愛読くださっているとお聞きし、うれしくなりました。
こんなやつを政治家でいさせつづける日本人のモラルはたしかに低下している
このコラムでは、コ□ナがはじまるまではコロコロニュースのような内容や政治的な発言は一切控えておりましたが、コ□ナ以降、どうしても我慢できなくなっていろいろお伝えするようになりました。
こういう発信が嫌いな方も大勢いるとは思うのですが、やっぱり黙っていられないところがあるんですよね。自分のためというより、子どもたちの世代のために。。。
さて、では本題です。
冒頭でお話したとおり、ただの旅行記にならないように、人の「能力」といった部分にもお話を絡めながら進めていければと思います。
●ロンドンはこんな街
1月18日、早朝。ロンドンに向けて長男(高2)と次男(中2)と3人で自宅を出発。
最近、羽田では第3ターミナルだけでなく、第1、第2ターミナルからも国際線が出ています。私はANA派なのですが、今回は第2ターミナルから出発。
国際線は2時間前には空港に、と言われます。が、1時間前でも十分だったんじゃない?というくらい、あっという間に保安検査場を通過し、搭乗口近辺まで来てしまいました。時間が余ったので朝食を食べました。子どもたちのうどんが一杯1,200円。私の牛皿定食が1,800円。高いというか、国内の物価の安さを感じました。
子どもたち用にポケットWi-Fiを借りようと思ったら、保安検査場を通過してしまうとレンタルショップがないんですね。そりゃそうか。。。最近できた第2ターミナル国際線のりばだと、レンタルショップが見当たらなかったため、忘れてそのまま通過してしまった。。。まあなんとかなるだろう(なんとかなりました)。
9:55の便でロンドンに向けて出発。15時間の旅。長い。ロシア空域は今飛行禁止のようで、ベーリング海峡のあたりを通って北極海を抜けてロンドン入り。そのため余計に時間がかかりました。通常だと行きで12〜13時間くらいでしょうか。ちなみに帰りは中東あたり→中国上空を抜けました。偏西風の影響で13時間で着陸。
機内で見たこの映画がものすごく面白かった。
余命3ヶ月の母親が、バラバラになった家族をまとめていく話。ヒューマンドラマですが、たくさんの伏線と回収があってその都度感動。なにせ、主役の宮沢りえの演技が神がかっているというか、この人はこんなにすばらしい演技をする女優さんだったんだと脱帽。子どもたちに見つからないようにひっそりと落涙。超おすすめです。
ロンドンに着いたのは、現地時間で15時半くらい。日本時間だと深夜0時半くらいです。イミグレで次男のパスポートだけ読み取れないトラブル。日本製の機械では一切こういうことはないでしょう。
空港からホテルまではウーバーを使いました。電車に乗るのがちょっと怖かったため(笑)。ネットで調べると30〜40分でロンドン市内に行けるとのことでしたが、1時間以上かかってホテルに到着。料金も調べたときは30〜35ポンドくらいとのことでしがが、53ポンドで1万円くらいかかりました。ちなみに今は1ポンド185円くらい。
ホテルのフロントでチェックイン。マリオット系列のホテルだったので、デポジットにマリオットブランドのアメックスカードを出しましたが、機械に通しても使えず。もう1枚のアメックスカードも使えず。焦りました。なにせ、デジタル決済社会のイギリスでは現金はほとんどいらないとのことで、60ポンドくらいしか両替していませんでした。デポジットの金額は150ポンド。VISAカードで決済成功し、一安心。
ちなみに英語があまりわからない私は、会話のほとんどを長男に頼っていました。長男はそれほど頭の良い高校に通っていませんが、普通の都立高校なのになぜか海外の生徒が多く、そしてなぜか日本人の友達のほうが少ない長男は、どうやら日常会話レベルはできるようにいつの間にかなっていたようなのです。
初日はクタクタで、夕飯も食べずに18時過ぎ(日本時間で夜中の3時すぎ)に就寝。案の定、深夜0時半くらいに目が覚め寝られなくなりました。1時間くらいして再び眠りにつき、次に目が覚めたのが深夜2時半。。。日本時間では11時半くらいで、会社が始業していたので、スマホでチャットなどを処理処理処理。。。社員に「寝てください」と返信をもらう。
ロンドンの日の出は遅く、7:55くらい。朝5時過ぎには全員目が覚めており、順番に風呂に入ってもまだ7時すぎ&まだ暗い。。。
そしてロンドンについて初の食事。ホテルのビュッフェです。メシはマズいと聞いていたのでドキドキ。これがまた、ぜんぜんマズくなかったです。ただ、野菜が少ないな。
スーパーでサンドイッチを買って食べたりもしましたが、これも普通に美味しい。脂質も日本のサンドイッチよりも遥かに少ない(これは野菜のサンドイッチなので特に)。
パッケージは紙とフィルムが合わさったもの。日本のように全部フィルム包装ではありません。しかも、日持ちがしない。ということは日本よりも防腐剤とかが使われていないと推測。
実際に、ホテルの朝食で食べたグレープフルーツが甘くてまったく苦味がなくてびっくりしました。日本だと苦味があって、あれがグレープフルーツらしいと勘違いしてしまうけど、あれって農薬の苦味だと聞いたことがあります。
さてさて、こんな感じでロンドン滞在がスタートしました。これ、1日ごとに書いていくとものすごい長文になる上に、ただの旅行記になってしまうので、ここからはダイジェストで。
結局、5日間の滞在でタクシーやウーバーはその後一度も使うことがなく、電車で移動。ロンドンはこんな感じで地下鉄網がすごい発達しています。
電車内も治安が悪いことはあまりありません。ただ、どの時間帯でもわりと混んでいる印象。それと、車内がすごく狭い(写真だと混んでいないうえに狭いのがわかりづらいですが)。日本に帰国して井の頭線に乗ったとき、思わず「広っ!」と言ってしまいました。
街も非常に人が多く、活気づいていました。ロンドンはさまざまな人種の人がいます。当然ながら白人の人たちがいて、他にも黒人の方々。しかも、アフリカ系の方、ネパール、インド系の方、ヨーロッパの血が入っている人などなどさまざまな黒人さんが。。。もちろんアジア系もいます。
店舗は比較的インド、ネパール系の黒人さんが働いている印象でした。あまり良い表現ではないかもしれませんが、おそらくそれほど給与や社会的地位が高くないお仕事にそういった方々がついているという印象でした。
2日目の午前中にバッキンガム宮殿やらビッグベンやらを散策していてたまたまテムズ川沿いに出たとき、壁にたくさんのハートが描かれているのを見ました。
よく見ると、ハートの中にコ□ナで亡くなった方々の名前が書かれているとのこと。すごい数のハートでした(不謹慎かと思い撮影せず)。「これ、全部コ□ナじゃなくてお注射もだいぶあるだろ」と少し冷ややかな目で見てしまいました。
で、ロンドンのコ□ナ事情はというと、もうまったくもって終わっています。マスクをしている人を見たのは、5日間でたぶん5人くらい。ほとんどがアジア系の人、またはこう言っちゃ何だけど、ちょっとヤバめな雰囲気のある人でした。
壁に描かれたハートの数と今のロンドンの雰囲気のギャップに、ものすごく不自然さを感じました。そんなにたくさんの人が死ぬほどやばい病気だったら、「コ□ナは今日で終了ですー」みたいな勢いで社会が切り替わるのっておかしくない?でも本当にそんな感じというか、コ□ナなんてなかったみたいな雰囲気。それとともに、日本人がいかに臆病な上、メディアに踊らされているかを痛感。
さて、街は古い建物がいっぱいあり、ヨーロッパの情緒を歩いているだけで堪能できます。もちろん、オフィスビルのようなところもありますが、高層ビルよりも圧倒的に昔の建物のほうが多い。
また、ロンドン市内にはたくさんの博物館や美術館があります。これ、すべて入場無料。すごい。われわれも、大英博物館、テート・モダンミュージアム、ナショナルギャラリーに行きました。
街中にもさまざまなアートが溢れていて、これらがロンドンっ子の感性を育てているんだなと実感。
最後の写真とか、最高じゃないですか?ベスパに乗っているシュールさとか、コーヒーカップ持っているところとか最高。
ちなみにひとつ前の写真のねずみの絵、何かわかりますか?バンクシーの描いた絵です。バンクシーの作品を生で初めて見て超感動しました。
そんなアートな街だからか、ロンドンの人はおしゃれな人が多いです。私の中の「おしゃれ」の定義は、自分のらしさとそれに合う服装を理解している、ということです。
70歳くらいのおばあちゃんがピンクの髪色で派手な格好をしていましたが、これがぜんぜん不自然じゃない。こんな人を街なかでたくさん見ました。
そして、日本のすばらしさがロンドンにも轟いているのだなと感じたのが、「食事」と「アニメ」です。
日本食のお店は多く、中でも「わさび」という名の「お弁当屋さん」コンセプトのチェーン店(だいたいみんな店内で食べてるけど)と、「ITSU」という名のチェーン店がいたるところにありました。
4日目の昼下がりに「わさび」に行ってみました。店は混雑、大人気。寿司、カレー、味噌汁、スープヌードル、餃子を注文。まあ普通に美味しい。めちゃくちゃ美味しいわけじゃないけど、もっとマズいと思っていました。味噌汁がちょっと出汁が薄かったのと、スープヌードルがなぜかトムヤムクンで、「それ、タイやん」となりましたが、概ね満足。これでいくらだったんだろう。忘れました。
ちなみに2日目のお昼には、まさかの「一風堂」に。そうなんです。ロンドンにも「一風堂」があるんです。店員さんは日本人と現地の人半々くらい。店員さんの「◯名様でーす!」は日本語でした。
ここではラーメンと餃子を注文。餃子は日本の味のまんまでした。ラーメンは少し魚介系の風味がして、「一風堂のラーメンって魚介の味したっけ?」と混乱しました。日本でも一風堂なんて最近ぜんぜん行ってなかったから味がわからなくなっていたのか。でも美味しい。
店内は超満員で、われわれも並んで待ったくらいです。価格はラーメン1杯1,800円。
「高ぇ!」という子どもたちに、ロンドンが高いんじゃなくて日本が安すぎることを説明。オーストラリアの皿洗いは時給2,600円だぞと偉そうに伝えました。ラーメン3杯とトッピング少々、餃子1皿、生ビール2杯で1万円くらい。た、高い。。。
ちなみにラーメン屋さんは一風堂以外にもありました。入りませんでしたが。。。
そして、日本のアニメやコミックを扱っているという店にも行きました。すごかった。こちらも超人気でたくさんのお客さんがいました。
日本のアニメやコミックがここまで人気だったとは。。。「これも、これも、こんなマンガまであるの?」というのの連続。ボーイズラブやレズビアン系の日本人でも知らないようなマンガまでローカライズされていました。
私が好きな浅野いにおの「おやすみプンプン」まであるとは!(マニアック&超暗い話です)
かと思いきや、日本で大人気のキングダムがなく、もしかしたら史実に基づく話よりも完全なフィクションというか、現実ではあり得ない想像(創造)の設定にロンドンの人たちは惹かれるのかも、なんて考えました。
ちなみに、ホテルの喫煙スペースでタバコを吸っていたときに話しかけてきた外人さんがいました。聞くと、カタールから来たとのこと。「カタールでは今サッカー(アジアカップ)やってるよね」と、カタコトコミュニケーションで会話。
私が日本から来たと伝えると、彼は日本のアニメが大好きだと、自分のスマホに入っているコンテンツを見せながら教えてくれました。なんだかうれしくなりました。日本、もっと自信持っていこうぜ。
なお、結局ロンドンではほとんど現金を使いませんでした。最終日に長男がスーパーに置いている商品をお土産で買いたいとのことだったので、せっかくならと両替した現金を使っただけで、それ以外はすべてカード決済。
カードも日本みたいにPINコードを打つのは稀です。いくら以上だったら暗証番号が必要、みたいな感じで、それ以下の場合はSuicaとかをタッチする感じで支払いをします。どんな店でも。
便利だけど、デジタル通貨だけの社会はちょっと空恐ろしい感じもします。
●「スキル」と「能力」の違い
さて、ただの旅行記にならないように今からするお話として、今回なぜ長男と次男をロンドンに連れて行ったのかをお話します。
実は、ロンドンじゃなくても海外ならどこでもよかったんです。ただ、長男がイギリスのミュージシャンが大好きだった、留学したいとも思っている、というのが大きな理由でした。留学の下見的な感じです。
また、私がデビューしかけたバンドのあとに組んでいたバンドのボーカル(先ほどのコミック店の写真にちらっと写っています)がイギリス人で(ちなみにベースはフランス人)、今はロンドンに住んでいることから、彼にお願いすればいろいろアテンドしてもらえるだろうというのもありました。
「海外ならどこでもよかった」とお話しましたが、それは「日本以外でする経験、体験」を人生の中でもわりと早い今の時期にしてほしかったからです。
なぜそういった経験、体験をしてほしかったか。。。
以前もこのコラムで少しお話しましたが、最近、採用やマネジメントの考察を自分の中で進めていくうちにあることに気づいたんです。
それは、「能力」と「スキル」は違うということです。
この言葉は一見同じ意味のように感じます。「スキル」を日本語に訳したときに「技術」となりますが、「技術≒能力」という印象がありますもんね。
でも、この2つは明確に使い分ける必要があると考えています(ちなみに他にも「自尊心」と「プライド」は似ていながら使い分ける必要がある言葉だと考えてますが、それはまた今度お話します)。
「スキル」っていうのは、「パソコンスキル」などのように「パソコンを扱う技術」だったり、他にも「溶接の技術」だったり、「一口呑んでどんなワインかを当てる技術」だったり、まさに「英語を話せる」だったりします。
会社では商品の知識を覚えるのはスキルです。マーケティングの勉強をして会社で活かすのもスキル。その業界の専門知識や専門技術を手に入れるのもスキルです。
言い換えるなら、「学べば後からでも身に着けられる知識的、技術的なもの」が「スキル」というわけです。
ということは「能力」はもうおわかりかもしれませんが、学んでも身につくものではないということです。経験を通して蓄積されてしまっているものが「能力」というわけです。
これは「運動神経」を例にとって見てみるとよいと思います。
私は少年サッカーのコーチをやっていますが、運動神経が良い子と悪い子というのが当然います。
たとえばリフティングを教えることはどちらの子にもできます。「足の形がこうだったから失敗したんだよ、もっとこうしてごらん」とか、そういうリフティングのコツ(スキル)を伝えることはいくらでもできます。
しかし当然ながら、リフティングを何回できるかとか、30回できるまでにどれくらいの日数がかかったかなどの結果は、運動神経が良い子と悪い子とで雲泥の差が出てしまいます。
これは運動神経の問題です。で、運動神経を教えることはできないです。運動神経を開花させるには、ひとつは遺伝もありますし、子どものころに体操やダンス、空手(特に伝統系)などの全身運動をいかに体験させたかとか、外で思いっきり走り回ったり遊ばせたりする時間をどのくらい与えたかなどによります。もちろんサッカーを通して運動神経が開花することはありますが、運動神経が悪い子にとって、それは「今すぐ」ではありません。
運動神経の開花は、「教えた」のではなく「そういう環境を与えた」ということになります。
同様に「能力」も教えることはできないわけです。「能力」は教えられて得られるものではなく、いろいろな経験を通して徐々に得られていきます。能力を育てられるのは環境だけで、われわれができるのは環境を与えるだけです。
学歴が高い人は、勉強を通して「全体とその構成を捉える力」と「論理的思考能力」という能力が手に入ると考えられます。また、目標達成(合格)するマインドや、そのために努力する力、こういった「能力」を受験を通して身につけている可能性が高いです。
スポーツの強豪校にいた経験などであれば、やはり努力する「能力」はあるでしょうし、「負けず嫌い」も能力です。
団体競技であれば、先輩から厳しいことを言われたりすることもあると思います。私は高校のサッカー部で試合中に先輩に蹴られたりしてましたが、これは「ストレス耐性」という能力を身に着けている可能性が高いです。
根性論はあまり好きではありませんでしたが、「根性」もやはり「能力」のひとつ。
「根性」はスキルではないため、「根性」という「能力」を蓄積する経験がなかった人に、「もっと根性を出せ!」と言っても出しようがないわけです。これが根性論がうまく行かない理由で、根性がある人は「根性出せ!」と言われることはほとんどなく、その前に根性が出てしまっています。
仕事を段取り良く進めるのも「能力」です。それは計画を立てる機会が多いことで「能力」として身について人もいるでしょうし、何かのチームリーダーのような存在を経験して人を段取り良く動かす「能力」を持っているのかもしれません。
納期を守る、約束を守るのも実は「能力」です。「約束を破ってもたいしたことはない」という経験をしてしまうと、約束を守るという「能力」は蓄積されていきません。「誠実さ」もひとつの能力というわけです。言ったことを守らない人などは、その人がどんなに自分を誠実だと思っていても、「誠実さ」という能力を有しているとはいえません。
これに近いですが、遅刻グセがある人などが改善できないのは「誠実さ」や「ルールを守ること」を「能力」として有していないからです。
「仕事を楽しむ」とか「まじめに取り組む」というのも能力です。これって本当に大事で、私は昔から「どうせやらなければならないなら、どうすれば楽しめるか」ということを常に考えていました。こういう経験がないと、「仕事を楽しむ」という「能力」がない人になってしまいます。
私の好きな言葉に、「プロは質を落とさずに手を抜く」というものがあります。「手を抜く」という表現が言葉の綾となっていて誤解を生みやすいですが、言いたいことは「絶対に結果だけはブラさない」ということです。
しかし、この「絶対に結果だけはブラさない姿勢」という能力がない人がこの言葉を聞くと、「手を抜く」ほうにフォーカスしてしまい、結局結果を出すことができません。そして「なぜ手を抜いた?」と怒られます。
いろいろ例を挙げましたが、つまりは社会人になってからも会社や上司が「能力を教える」ことは不可能だということです。
じゃあどうするか。「採用」で判断するしかないわけです(「採用」の話は本筋ではないので今日はやめておきます)。
●教えたら人はバカになる
私の師匠である、故伊吹卓先生は、著書「人財革命」の中で「教えたら人はバカになる」と書かれていました。
これは1980年代に書かれた本で、絶版になっていると思いますがたいへんな名著です。「人財」という言葉を開発したのはどうやら伊吹先生です。
「教えたら人はバカになる」、「教えない教え方を学べ」、これがこの本の主題でしたし、お会いしたときもこの話はよく聞きました。非常に示唆に富んだ言葉だと思いますが、今までの私は、本を読んだり伊吹先生から直接お聞きしたのにも関わらず、これを真の意味では理解していなかったのだと思います。
これは「能力」の話をしていたんです。能力は誰にも教えられない。それを理解せず、教えようとすると、人(相手)はバカになります。
「教えたら人はバカになる」。この言葉を何度も思い返していたのに、私は今まで教えて人をバカにしてきました。つい最近、とある社員の退職をきっかけに「能力」と「スキル」の違いに気づき、伊吹先生の言葉の意味をやっと理解することができました。
なお、伊吹先生はこのような言葉も残しています。
- 「百聞は一見にしかずというけど、百見は一験にしかずだ」
100回見て知った気になっても、1回経験したのには及ばない、ということです。もっといえば、1回聞いたくらいでは、まったく経験したとはいえない、1万回聞いてやっと1回経験したのと同じだ、ということです。
私はこれをもって「【知る】と【験(し)る】は違う」と言いたいと思います。「験(し)る」は当て字です。
ちょっとした例をお見せしましょう。こちらの絵をご存知でしょうか。
はい、ゴッホのひまわりです。これ、ロンドンのナショナルギャラリーで実際に私が撮った写真です。
私は、ゴッホのひまわりを今までは「知って」いましたが、初めて「験(し)」りました。写真からではわからない実物の大きさや絵の質感を今では験(し)っています。しかし、この絵を描くということがどういうことかはまだ験(し)りません。
今では私も子どもたちもロンドンの街を験(し)っています。私が現地の人とのコミュニケーションを基本的に長男に任せたのも、私が英語があまりわからないということもありますが、そのほうが長男のためになる(海外で人とコミュニケーションを取ることがどういうことかを験(し)ることができる)だろうと思ったからです。
スキルと能力の違いは、この言葉からもわかります。「知」ることである程度得られるものがスキルであり(その後のトレーニングは必要)、「験(し)」らないと得られないものが能力です。
そして、スキルは「習得」するものであり、能力は「収得」するものともいえます。「習得」は「習って覚えること」であり、「収得」は「自分のものとすること」です。
能力はスキルの習得具合や習得スピードにも影響を与えます。リフティングの例を思い出してください。運動神経という「能力」を持った子のほうが、できる回数も多く、できるようになるまでのスピードも早いです。仕事も同じです。
そして重要なことがもうひとつあります。それは、「能力」の収得は若いほうがしやすいということです。
昔の人の言葉は本当に含蓄がありますが、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」というのは、「若いうちに能力を身に着けておいたほうがいいよ」ということなんですよね。「若いうちじゃないと身につかない」、「若いうちのほうが身につきやすい」という意味なのでしょう。
もうおわかりかと思います。私がロンドンに子どもと行った理由。それは彼らに「日本以外を験(し)る環境を与えたかったから」にほかなりません。
そもそも次男は当初ロンドンに行きたがっていませんでした。半ば強引に連れていきました。
普段、スマホをいじるかゲームをするかばかりの次男。私はそれがイヤでした。長男も似たようなものですが、楽器を弾いたり学校の友人(海外の子)と会うなどの良い経験もあり、次男に比べるとまだマシです。
スマホやゲームばかりがなぜイヤだったのか、いまいち自分の中でも自分に対して説明できませんでしたが、今ならわかります。若いうちが重要な、大切ないろいろな種類の「能力」の蓄積がすごく限定的になってしまうからです。
ただ、ここで長男や次男に「スマホやゲームばかりじゃなく、もっと〜〜なことを経験しろ!」とか、「将来の君たちのことを考えて、そんなことばかりじゃなく〜〜したほうがいいと思うよ」とかを伝えることは意味がないと思いました。
どんなに厳しく言っても、逆に優しく言っても、「教えたら人はバカになる」。
このロンドンの経験が彼らのどんな能力を開花させるかはわかりません。しかし、親ができることはここまでで、あとは子どもたちを信じるしかありません。
さて、ここまでは子育て論。では実際にビジネスの現場だとどうなんでしょう。
人が教えたらバカになるのは、子どもだろうと社員だろうと同じです。それを私は験(し)っています。
しかしながら、子どもと違って、会社には叶えるべきビジョンやそのためのミッションがあります。それをもっとドリルダウンしていくと、毎年、毎月の目標などがあります。
子どものように、「将来どうなるかわからないけど、きっとこの経験がなにかの能力になるはず」とか、「いつその能力が開花するかわからないけど、信じて待つ」という姿勢でいることは、残念ながら現実的ではありません。
ここが難しいところです。
「能力は教えることができない」けど、「能力が開花するまで待つことはできない」というこのある種の矛盾とどう渡り合っていくか。この視点を外すことは経営者として許されないことなのでしょう。
ある会社は資金力を活かし、確実に能力がある人を見分け採用する、ということでこの矛盾を解消しているかもしれません。また別の会社では、能力に左右されない仕組みや商品開発でこの矛盾を解消しているかもしれません。
教えることなく能力を開花させる方法を有している会社もあるかもしれません。大量に採用した人を厳しい(ブラックな)環境において「能力がある(とわかった)人だけ残れば良い」という作戦を取っている超有名な営業会社もあります。
しかし、何を置いてもまずわれわれが理解しなければならないのは、
- 能力とスキルは違う
- 能力は教えられない(教えたらバカになってしまう)
- 人の能力開発と経営にはある種の矛盾がある
このことだけは念頭において経営しなければならないということでしょう。
ふう、長い(汗)。まあ今回の旅は自分にとっても非常に貴重な旅でした。若くはないけど、まだ磨ける能力があると感じられるのは、自分にとってエキサイティングでとても良いことだと思います。
最後は時間がない中で無理やり子どもたちを渡らせて撮ったアビーロードの写真でお別れです。アビーロードは滞在3分くらいでした(ホテルのチェックアウトに間に合わなくなりそうだった)。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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