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先日、高2の長男がおもちゃのサンプラーとギターアンプ、ギターエフェクターをつかって我が家をCLUB化(踊るほう)しておりました。
サンプラーというのは、いろいろな音を加工する機械です。録音して加工、みたいな。ギターエフェクターというのは、足で踏むことで演奏中にギターの音色を変えることができる機械です。
ギターアンプとエフェクター、おもちゃのサンプラーが接続できるなんて知らなかった。面白いこと考えるな。。。
長男はわりとクリエイティブなタイプです。発想がイカれているというか(笑)。
以前はこのサンプラーという機械に「わかったからー!!」というセリフを録音し、ヨメが長男に小言を言うたびにそれを再生するという(しかもピッチや音色を変えて)新しい使い方をしてました。
ここで、長男が小学生のときにつくったタワー(の解説書)をご覧ください。
残念ながら作品は見られなかったのですが、将来は現代アーティストとかになって一攫千金を狙いそうです(笑)。
そういえば長男が小学生のときに学校で受けた適性検査的なものの結果もだいぶイカれていました。
なんでこんなふうになったんでしょう。遺伝ですかね(汗)
というわけでコロコロニュース。
なるほど!それで岸田くんは海外にバラまきまくっているのか!
さて本題です。今日は「クリエイティブってなんぞや?」的なお話をしてみたいと思います。今日は学びがあるかはわかりません。ほとんどエッセイです(汗)。
長男の話のつづきなんですが、私は子どもたちには「クリエイティブな人」になってほしいなーと思って接してきました。ここでいう「クリエイティブな人」とはアーティストとかミュージシャンとかという意味ではありません。何かを生み出せる人というか。。。
私は長男が小さいころはあまりおもちゃを買い与えずに育てました。
「仮面ライダーのベルトがほしい」などなど、何かしらをほしいと言えば、返し文句は決まって「つくろうぜ!」でした。そして一緒に工作をしました。
卵の空きパックを使って仮面ライダーフォーゼのベルトをつくったときは、我が子(当時4歳か5歳)ながら天才かと思いました(見たことないとわからないですよね)。
次男が生まれてからはわりとほしいものは長男次男ともに買ってしまう傾向にありましたが、長男はおもちゃを買っても1週間もすると飽きてしまい、その後は紙と鉛筆とはさみを持ってきて何かをつくりだすような性格になりました。
しかしこの「クリエイティブ」っていうのはそもそも何なんでしょうね。
●「クリエイティブ」は「自由」なんかじゃぜんぜんない
「クリエイティブ」っていうと、
- 自由な発想
- 斬新な発想
というイメージがありませんか。辞書でクリエイティブを調べると、「創造的、独創的」だそうです。
また、「クリエイティビティ」という言葉がありますが、「創造的なこと、創造性、独創力」ということで、クリエイティブの名詞がクリエイティビティだということです。
「彼はクリエイティブだ」は「彼は創造的、独創的だ」ということになり、「彼がつくったものはクリエイティビティが高い」であれば、「彼のつくったものは創造性が高い、独創力が高い」ということになります。
独創的、創造的という言葉が自由なイメージを生むのでしょうか、はたまたつくるものが斬新だから自由なイメージを持たれるのでしょうか、
とにかく「クリエイティブ」は自由の象徴のように使われることがあります。
なので、「自分は自由ではない」と思っている人ほど「クリエイティブ」や「クリエイティブな人」に憧れを抱いていたりします。
しかし、私はこの考え方でいる限り本当の意味での「クリエイティブ」には到底なれないと思っています。
なぜなら、「クリエイティブは制限から生まれる」からです。自由とはある種逆の環境がクリエイティブな発想を生みます。
多くの人がここを誤解します。自由な発想こそがクリエイティブだ、クリエイティブは自由な環境が生むと。
違いますね〜。制限があるからクリエイティブになれる、こっちが正解なんです。
どういうことか。
人間は生身では空を飛べないという制約があります。だからこそ飛行機を「創造」したわけですね。
絵画などもそうです。2次元(グラフィック)で何かを表現するという制約があるから、その画法や技術が「クリエイティブ」になるわけです。
「猫」を表現しようと思ったときに、ただ単に「猫」であることを伝えるならば写真で十分です。しかし、画(え)で表現しなければならない、という制限がかかったときに、猫の表現方法が考え出され、そこにクリエイティブが存在します。
人によっては写真のように緻密な猫を描くかもしれませんし、はたまたものすごく抽象化されているのに猫だとわかる絵を描くかもしれません。
どちらもクリエイティブであることには違いありません。
しょうもない例えですが、修学旅行で先生にバレずに女の子の部屋に行きたいと思った途端、どうすればバレずに忍び込めるのか、という考えを持ちはじめるようなものです。そこで考えつく方法もある意味クリエイティブだと思います。
学校を卒業してしまうと、女の子と旅行に行ってもそもそもバレるも何もないから考える必要性すらありません。そこに制限はありませんから。
そしてさらに持論をもうひとつ。
それはどんな仕事でも「クリエイティブ」、「クリエイティビティ」は存在する、です。
たしかにクリエイティブな仕事はあると思います。我々のようなデザインの仕事はその最たるものだと思います。
だからといって、クリエイティビティが発揮できない仕事があるかというと、私はないと思います。
- 仕事がクリエイティブな種類ではない
- 自由を与えられてない
だからクリエイティブになれない、クリエイティブな人でいれない。
もしこう考えている人がいたら、それは大間違いだということを知ってほしいです。
不自由だからクリエイティブになれる。
なので、本当にクリエイティブな人は、「自由にやらせてほしい」ということは私の経験上ほとんど言いません。
うちの会社にも昔いたんですよ。「自由にやらせてほしい」という社員が。その社員はどうなったかというと、自由にやらせてあげたのに結果も出さず逃げるように辞めていきました。
「自由にやらせてほしい」という人は、そこにかかる制限と立ち向かうことをせず、結果から目を背ける傾向にあります。
●「制限」を打破しようとする力こそがクリエイティブの本質
ここでちょっと私の武勇伝(昔話)をさせていただきます。なんだか自慢げに聞こえてしまうかもですが。。。
私は大学卒業後、新卒でデザインと印刷の会社に就職しました。
そこでその会社のT社長の目に留まることに成功しました。社長に「選ばれるための施策」が成功していたので、ある意味狙い(ブランディング)どおりでした。
今思うと、当時の私こそ「クリエイティブ=自由」という勘違いを強くしていたタイプだったかもしれません。
入社から3ヶ月経ったとき、T社長が独立してから、いや独立する前からのクライアントを「津久井に引き継ぐ」と言いました。社長が10数年、誰にも引き継ぎたがらなかったその会社でもっとも売上の高い最重要クライアント「K食品」でした。承認欲求も満たされ、やる気もみなぎりました。
しかし、引き継いですぐに社長に言われた言葉が次のものでした。
「お前は、わしのロボットになれ」
バンドをやっていたし、自由な発想が大好きだった私はこの言葉を言われてだいぶショックを受けました。そして実際に、言葉だけでなく本当に強い制限の中で仕事をすることになったのです。
T社長は普段は名古屋の本社にいます。東京支店の私のもとには、毎日20回くらいT社長から電話がかかってきました。
「あれはどうなった」
「この件は進めているだろうな」
「あれも調べておきなさい」
T社長の許可がなければ、見積書ひとつ、仕掛り書ひとつ提出することができませんでした。
そして、その会社は当時はまだまだアナログ環境でパソコンなども十分にはありませんでした(営業6人で1台しかなかった)。
印刷物の見積りを出すには、まず原価計算をします。この方法は社内で決まっていてみんなそのとおりに行っているのですが、私の場合はお決まりの原価計算をしただけでは社長の決裁はおりませんでした。
過去の似たような案件を探し出し、その価格との比較を何通りも行い、それを名古屋にいるT社長にFAXで送り、電話をしてお伺いを立てる。
価格が決まった後も手書きで見積書を作成し、その内容に不備がないかをまたFAXを送ってT社長に確認、というのが私の「見積り作業」でした。
前述のとおり、パソコンは十分になく、会社全体の管理体制がアナログのため、過去の実績は紙の書類を全部ひっくり返してひとつずつ見て探さなければなりませんでした。今みたいに検索してすぐに見つかるなんてのとは大違いの状況です。
お客さまから「急いで見積り出してほしい!」という要望があったとき、まず何をするか。いきなり原価計算をはじめたりはしません。
まず名古屋本社に電話して、仲良しの経理の先輩にT社長のスケジュールを聞きます。
そして外出の予定があると、それまでに先ほどの原価計算と実績からはじき出した売り価格を仕上げ、名古屋にFAXを送ります。
FAXを送ったら、すぐに名古屋に電話。先ほどの先輩にFAXの前に立っていてくれ、出てきたらすぐに社長のところに持って行ってくれとお願いし一旦電話を切り、1分後くらいにすぐにT社長宛に電話をして決裁を仰ぎます。
商品点数はオンシーズンだと100点くらいあり、すべてとは言いませんがほとんどがこんな調子で見積りを作成します。
その他の業務もボリュームが多く、デザインの仕事もあれば文字校正の仕事も100点×数バリエーション行い、それらの商品の請求関係の書類もすべてつくらなければなりませんでした。
しかも同じ商品なのに請求先は全国にあるK食品の各工場だっため、工場の分だけ請求書類をつくる必要があります。100点×納品工場分の請求書。繰り返しますが、手書きでこれらの書類をつくれという話ですからね。
また、印刷物の在庫管理もしていましたので、在庫を切らさないように仕掛りのタイミングを見計らって印刷工場に発注をかける必要もありました。
Aという商品があれば、それを生産しているK食品の全国の工場の購買部に連絡を入れ、日にいくつくらい生産しているかをお伺いし、在庫の数から残り日数をはじき出し、それをまた社長に根拠とともに説明し、仕掛りの決裁をもらいます。
新しい仕事の話やデザインの修正の話などがあるため、クライアントのもとには毎日3〜4回訪問しなければなりません。
仕事は連日、夜10時11時は当たり前。しかもあまり大きい声じゃ言えませんが、残業代は出ませんでした。
そのかわり「残業パン」なるものが出ました。大きめの袋に5〜6個くらいの小さいパンが入ってるやつ、ありますよね。あれ、ひとり1個です。ひとり1袋ではなく、ひとり1個です。価格にしたら1個30円くらいじゃないかな。これで夜10時とかまで働いてました。
金曜日は我慢できずに呑みに行くぞとなっても、早くても夜9時とか10時とかからスタート。そういうときはだいたい翌日の土曜日も仕事しに会社に行っていました。
こんな出来事もありました。
入社して半年くらい。その日はびっくりするくらい仕事が落ち着いていたのですが、先輩がクレームを出してしまい、その処理にもうひとりほしいと(検品作業が必要だった)。
私は普段お世話になっているし、先輩を助けられるチャンスだと思い、支店長に許可を取って先輩と客先に行きました。
すると、私が会社にいないことにT社長は激怒し、先輩と支店長を怒り飛ばしました。誰の許可で津久井を勝手に動かしとるんだ、と。
そしてその後、ものすごく書き殴られた文字で
「津久井を動かす時は社長の許可を取ること!!!」
と書かれたFAXが誰宛ともなく届きました。。。
外出からちょっとでも帰りが遅いとすぐに携帯に電話がかかってきますし、メモれる環境かどうかなどお構いなしで指示を飛ばしてきます。
質問されたときに外出先で資料が手元にない状態で回答に窮していると、「そんなことも覚えておらんのか!」と怒られます。どんな状況下でも質問には即答できなければなりません。
もちろん、こういった経験が今の自分をつくっており、ものすごく感謝をしています。
が、ひと言で言えばものすごい制限の働いた環境で仕事をしていたということです。
私がこの状況を打破するために行った、いわゆる「工夫」はいくつもあります。
書類の管理方法、書類作成時の時間短縮方法、社長の指示を予測して先回りする方法、タスクの管理方法。
とにかくこのきつい制限下でも、
- なるべく早く家に帰り
- 土日も出社せずにすみ
- 社長に怒られることなく
- 結果をきちんと出す
これらをクリアするためにどうすればよいか、ということがクリエイティブな仕事の進め方のスタートとなる考えでした。
結果、大学まではパソコンが大の苦手でネットもまともに使ったことがない、卒論もパソコンではなくワープロで書いた私は、まずはパソコンスキルをあげつつ、自分の仕事のフローにどう絡ませれば状況が改善するかを考え、結果、「ファイルメーカー」というソフトをつかってオリジナルのデータベースシステムを構築してしまいました。
これにより、過去の案件は紙をひっくり返さなくても検索で一瞬で呼び出すことができ、似たような書類は複製することで圧倒的に作成時間が減りました。
タスクの管理方法も、すべてこのデータベースソフト「ファイルメーカー」を使って構築。当時、どんな文献を読んでも答えがなく、詳しい先輩に相談しても「今の技術ではそれはムリ」と言われていたプログラムを関数を駆使して自作してしまったほどです。
一日の営業にかかる移動時間をすべて計算したところ、移動だけで日に3〜4時間かかっていました。
これは、提出予定のデザインがあがっていないために、客先に一度行ってもまた事務所に戻り仕上がったデザインを持って再度出かける、というやり方だったために起こりました。
そこで、デザインの締切は時間ではなく必ず日にち単位で区切るようにしました。
「10日の15時までに仕上げて」ではなく、「10日中に仕上げて」または「11日中に仕上げて」という形にし、営業先で提出するデザインはその日の朝出社したときにはすべて手元に揃っている状況にしました。これで、いちいち会社に戻らずともお客さまのところに一度に回れます。
これによって、1日の営業にかかる移動時間は2時間にすることができました。
結局、私がつくったデータベースは数人の後輩の目にも留まり、後輩用にカスタマイズしたものを私が提供する、みたいなことがはじまり、それにより会社側も無視できなくなりひとり1台のパソコンと全社的なシステムを導入することになったのです。
クリエイティブとは本来こういう制限下で発揮されるものだと思います。
そして、デザインやキャッチコピーを考えることだけがクリエイティブではなく、どんな仕事でもクリエイティブに行うことはできる、という持論を持つことがこれらの経験からできました。
多くの人が「自由にやらせてくれ」というとき、制限に立ち向かうのではなく制限から逃げたいと思って言っていることがほとんどです。
しかし、制限から逃げていたら絶対にクリエイティブになれません。
ユニクロだって、お客さまにどうやって安く、でも安いだけと言われないように商品を提供するか、という制限があるからイノベーションを起こせたのです。
Amazonなんて制限だらけの環境だったはず。それをどうクリアしていくかを徹底的に考え抜いて今の形になったはずです。
●なぜ「クリエイティブな人」は「自由人」と誤解されるのか?
ところで話は変わらないようで変わりますが、クリエイティブには2種類あると思っています。
1.制限のもとで最大のパフォーマンスを出すためのクリエイティブ
2.制限の外に新しいものを創り出すクリエイティブ
サッカーで例えてみましょう。
サッカーは、足を使って行うスポーツです。というか正確には手以外を使って行うスポーツです。
この制約条件のもとで試合に勝つために、選手はボールコントロールの訓練を行い、パフォーマンスを上げようとします。You Tubeなどで見てもらうとわかりますが、ボールコントロールのうまい選手のドリブルやパスは文字通り芸術的です。
そして、ボールコントロールという「技術」以外の面で制限下でも試合に勝つために考えられたのが「ポジション」「フォーメーション」です。11人で手を使わずにいかに相手より多くの点を奪うか、この制限のもとさまざまな技や戦略が「創造」されました。
これが「1.制限のもとで最大のパフォーマンスを出すためのクリエイティブ」です。
そして、この「手を使わずに」という制限があったからこそ、この制限をあえてやぶる人が出てきました。
ボールを手で持ってゴールまで走るというルールムシの人が現れたのです。
実は、これが「ラグビー」の起源だと言われています。制限をムシすることで新しいものが生まれたということです。
「2.制限の外に新しいものを創り出すクリエイティブ」はこれに当たります。
「イノベーション」と言われるとき、ほぼほぼこの2に当てはまっていると私は考えています。
しかし、どちらも重要なのは、やはり「制限があるから」生まれたものだということ。
絵画もそうです。前述のとおり2次元で表現しなければならないという制限があり、かつ、見たものを正確に表現しなければならない、という制限(人々の思い込みですが)がありました。
その中で絵のクオリティ(スキル)をいかに上げるかということが1に当たります。もしかしたら筆選びや絵の具選びもこの中に入るかもしれません。
そして、「絵画はこうあるべきだ」という制限を超えた作品をつくったのがピカソだと考えます。
「こうあるべきだ」の制限を超えたとき、抽象画という新しいジャンルが創造された、ということです。
ご存じの方も多いと思いますが、ピカソは抽象画ではない絵を描くことでもものすごい実力を持っていました。ピカソが8歳で描いたデッサンは大人でも描けないくらいのレベルのものです(ググると出てきます)。ただの「ヘタウマの絵を描く人」ではありません。
抽象画にたどり着く前のピカソは、一般的な絵という制限からなかなか抜けられなかったのではないかと私は思います。その制限と立ち向かいつづけたことで新しいジャンルが生まれたと思うんですね。
そして、「発想が自由だ」と言われるのもこの「2.制限の外に新しいものを創り出すクリエイティブ」のときです。
ピカソの抽象画は、自由な発想から生まれたというよりいかに今までの制限(絵画はこうあるべき)を打ち破るか、から生まれたと思われるわけですが、結果としてできあがったものが今までにないものだからこそ「自由な発想」をそこに感じるわけです。
この「自由」だけがあげつらわれてうらやましがられる傾向があって、それを生み出すための制限に目を向けない人が多い。
仕事をする上でそういう人が好んで使う言葉が「だって」「でも」です。
私はこの言葉を多用する人があまり好きではありません。クリエイティブと対極にある人だと感じてしまうから。
長男にはおもちゃをあまり買い与えなかった、と冒頭でお話しました。しかし、実はこれは私自身もそうでした。
両親は「我慢」を覚えさえさせたかったのだと思います。共働きで会社を経営していた両親。仕事から疲れて家に帰ってきますから、一緒に遊んでと言ってもあまり遊んでくれませんでした。土日が休みになるとは限らない仕事をしていました。
ひとりっ子で兄弟もいない、おもちゃもあまり持っていない、両親も遊んでくれない。そういった環境から、私は自分が楽しい何かは自分で生み出すしかありませんでした。
結果、自分でゲームを考えたり、自分で遊び道具をつくったり、絵を描いたり、そんなことばかりしていました。
好きでやっていたというよりもそういう制限がかかっていた、という言葉のほうが正確です。それが、制限と立ち向かう力をつけてくれたと私は考えています。
この制限と立ち向かう力こそクリエイティブの本質であり、そこから生み出されたものが「自由に見える」だけなんです。
デザインやアートだけがクリエイティブでは決してないし、クリエイティブは自由ではない、生み出されたものが自由に見えるだけで、その本質は制限に立ち向かう力だ、というお話でした。
もし今、結果を出していないのに「自由にやらせてくれ!」と主張するスタッフさんがいたらこの文章がちょっとでも役に立てば幸いです。
ちなみにそういう意味では、ビジネスってなんてクリエイティブなんでしょうね!
今回はここまでです!
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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