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本日はこのコラムでもよく登場する、私の師匠である伊吹卓先生についてお話したいと思います。
年明けに、伊吹先生との関係でつながった方(もともと湖池屋にいらっしゃった)から、新年の挨拶とともに伊吹先生がお亡くなりになったという連絡が来ました。
ここ数年はお会いしに行かないという不義理を働いていました。
本日のお話は少しでも伊吹先生の功績を知っていただけるように、そして多くの方が自分のビジネスに伊吹先生のノウハウを活かしてもらえるようにという思いも込めています。恩返しになるかはわかりませんが。。。
とそのまえに今週のコロコロニュースです。量が多いので駆け足でご紹介。
新コ□ウイルスは空気中では3時間で死ぬ(不活化する)のにマスクでは7日間生きるらしい
ちなみに、ワク◯ソがではじめたころに、多くの人に打たせたいがためにメディアが流したニュースに、「打つ人は高学歴が多い、打たない人は低学歴が多い」というものがありました。
推進派はこぞって「やっぱり打たないやつはバカだ」とSNSなどで罵っていました。
さて、今どうなったでしょう?めでたく日本は世界一の感染者数(本当は陽性者だけど)。
でも、私は本当に打つ人には高学歴が多いと思います。なぜなら、日本の教育方針上、彼らは考えることができないようになっているからです。
教科書、先生、政治家、テレビ、行政、国などのある種の「権威(≒媒体力)」のいうことは間違っているわけがない、だから疑う必要も考える必要もないと盲目的に思っている人が多いわけです。
実際に日本の教育は、考えることよりも記憶することに重きが置かれます。いまだにです。このネット社会において記憶することに何の意味があるのでしょうか?
なので私は子どもたちに常々言っています。「勉強だけできるバカにはなるな」。
さまざまなことを観察して、想像して、そうして考えて自分で結論を出せる人になってほしい。少なくとも教科書が、先生が、上司が、テレビが、世間一般の人がそう言っているからそのとおりだと思います、という思考停止人間にはならないでほしい。
今日お話する伊吹先生は、まさにそれを地で行くような人生を歩まれた方だと私は考えています。
では、本題スタートしましょう。
●有名メーカーのうどんよりも、無名のメーカーのうどんのほうがスーパーで売れるワケ
伊吹先生とのそもそもの出会いは私がサラリーマン時代にまでさかのぼります。かれこれ20年くらい前でしょうか。
当時勤めていたS社の社長が伊吹先生の本を読んで感銘を受け、S社にコンサルタントとして伊吹先生を招聘したのがきっかけです(S社はデザインと印刷の会社で、パッケージデザインをよくやっていました)。
毎月1回、土曜日の午後から夕方まで講義を受けました。
伊吹先生は実践主義者、座学よりも実地調査を多く行い、結果を発表し学びを得るスタイルの講義でした。伊吹先生の教えは現場を徹底的に見ることを最重要とし、
「売れるパッケージデザインが知りたければスーパーに行って実際にお客さんを観察し、お客さんが買ったものを調べたり自分で商品を購入しなさい」
ということを常々おっしゃられていました。
私自身も営業を抜け出して夕方のスーパーで2時間くらいよく立っていたものです。
そうすると、業界人として多少なりともデザインに自信のある私の予想外の商品が売れていくさまを目撃することが多かったのです。
たとえば、うどんのメーカーで有名なシマダヤの商品が無名のブランドに負けている様子とか。
なぜそうなるのか、現場を見てはじめてわかりました。
そのうどんは3玉入りでした。シマダヤのうどんも3玉入り。シマダヤは3玉のうどんを縦に積んだ形でひと包装にしているのに対し、無名ブランドは横に並べた形でひと包装にしていました。
夕方の主婦は忙しいです。ひとつの売り場に滞在するのは数秒と言われています。その中で瞬時に3玉入りだと理解させるには縦積みより横並べのほうが効果が高い。
言われてみれば当たり前ですが現場を見ないと気づけないことでした。
これはこのコラムでよく紹介する伊吹先生が考案したノウハウ、
- メリコの法則
でいうところの「メ」と「リ」にあたります。縦積みより横並べのほうが面積が大きいですから「目立ち」ます。瞬時に3玉だと「理解」できます。
有名ブランドだけあって、シマダヤのパッケージデザインはとてもきれいにつくられたものでした。つまり、メリコの「コ」はシマダヤのほうが優れていたわけです。
しかし、実際の売れ行きはデザインの「好感度」よりも「メ」と「リ」に軍配があがったわけです。
このように、直接「見る」ことで気づきを得ることを伊吹先生は「着眼法」と名付け、見ることから多くの気づきを得られる人を「着眼力が高い人」とおっしゃっていました。
「人間は目の動物」と言われるように、「見る」ということの力は鳥が空を飛ぶのと同じくらいすごい能力なんだと伊吹先生はよくおしゃっていました。
ちなみにこの、「スーパーに立っている」を数日行ったところ、「津久井がサボっている」という誤解を当時の社長にされてしまい怒られました(汗)。
そして、自分が探してきたコンサルタントの教えなのに「余計なことするな」くらいのことを社長に言われました。
こういうノウハウを聞いて本当に実践する人は一握りだとよく言われます。だから実践したもの勝ちなんだとも。
私は伊吹先生のノウハウを活かして、飛び込み営業で入ったサンドイッチメーカーのパッケージデザインと印刷を受注したり、某大手カップ麺メーカーさん(当時のメインクライアントだった)に販促物のプレゼンをしたりしました。
しかし実際にその会社で伊吹先生のノウハウを使って調査をしたり営業活動に活かしていたのは、残念ながらその会社内では私だけでした。上司ですら「いい話聞いたな」程度で、誰も「余計なこと」はしませんでした。
結果、伊吹先生とその会社の契約更新は行われませんでした。しかし、私の頭の中には伊吹先生の教えのインパクトがずっと残っていました。
それでも、その会社を辞めてデザインとは違う世界に転職し、伊吹先生のノウハウを実践する場はなくなりました。
ところが。。。起業の前後だったと思います。当時は独りで独立し、自宅を事務所にしていたのですが、仕事の環境を整えようと片付けをしていたら、S社で伊吹先生のコンサルティングを受けていた時のノートが出てきたのです。
中を見ると、改めてこのノウハウがどれほどすごいかに気づかされました。
そして、ロゴに関するノウハウと合わせて伊吹先生のノウハウを盛り込んだ小冊子を作成。ロゴ作成を検討している人に無料でプレゼントできるようにしました。
当然無許可で行うわけにはいきません。伊吹先生の名刺も大切に保管していましたので、すぐに大阪にいる伊吹先生に連絡をしました。
「昔、S社にて伊吹先生のコンサルを受けたことのある者です。先生のノウハウを私の小冊子の中で紹介させてください!」
回答は「あー、あの会社の。。。いいよー」。超あっさりでした(笑)。そしておそらく先生はその時私が誰だったかわかっていなかったと思います。
その後、当時はまだまだ出張など頻繁にできるほど稼ぎがあったわけではありませんでしたが、機会を見つけて大阪に出張した際に伊吹先生の事務所にお邪魔するようになり、関係がスタートしました。
また当時先生は某大手牛乳メーカーのコンサルをされていて、月に1回は東京に出張に来られていました。ですので、いつもそのタイミングで東京の八重洲のホテルのラウンジで3時間くらい「おしゃべり」をしていました。
先生は「君ら(もう1名いた)とおしゃべりしていると楽しい」とよく言ってくださってましたが、私にとってはおしゃべりどころか直接指導以外の何物でもなく、本当に勉強になりました(もちろん超楽しい)。
あるとき、伊吹先生はこう言ってくださったのです。
「君ならぼくのノウハウを自由に使っていいよ」
●答えは自分で見つけるもの
先生はデザイナーではありません。どちらかというと研究者、実践的研究者とでもいいましょうか。
その研究範囲はデザインに限らず、商品開発、営業、人財教育などなど。これらすべてが教科書的ではなく伊吹先生が実際に見聞きしたことから法則を導き出したノウハウばかりです。
まさに「勉強だけできるバカ」と対極にいる方でした。
ちなみに、先生は著書が100冊以上あります。
先ほど「人財」と書きましたが(「人材」ではなく)、最近でこそよく使われるこの「人財」の表現、はじめに使ったのは伊吹先生のようです。
「人財革命」という絶版となった名著になぜ「人財」という言葉を考えたかが書かれています。「人財革命」にはリーダーになる人に向けてこう書かれています。
- 人は教えたらバカになる
- 教えない教え方を学べ
伊吹先生が実際に人を育てる、組織をつくることに優れているさまざまな有名経営者にインタビューして気づいたことがこれだったそうです。
このように伊吹先生は教科書から学ぶのではなく実際の人や事象、事実を「見る(もちろん聴くも)」ことで独自のノウハウを考案されてきました。
私がブランディングについて独自にいろいろと考えているのはそんな伊吹先生の弟子だったからかもしれません(もちろん性に合っていたのもある)。
他にも伊吹先生は「売れる色は何色?」という本を出されていて、色についてもプリミティブ(根源的)な研究をされています。ものすごいマニアックなテーマです。
その本の中にはこんなことが書いてありました。
「赤」という色は「光」「太陽」を表すことが多い。「光」や「太陽」はどの国でも恵みの象徴で神さまに近いものであったり、神さまを表現するときに使われたりする。
つまり敬われていて、世界共通で使われている色なのではないか、と伊吹先生は考えられました。ではそれをどうやって調べるか。
伊吹先生は「国旗」に着目しました。各国の国旗には必ず赤が使われているのではないかと。日の丸などは赤で太陽ですしね。
ところが、ご存知の通り必ずしも国旗に赤が使われているわけではありませんでした。その数が伊吹先生の中では思いのほか多かったようです。
伊吹先生は納得がいかず、どうしたものかと考えあぐねた結果、「国旗に赤を使っていない国を地球儀で探し、ピンを立てていく」ということを思いつきます。何かが見つかるのではないかと考えたのです。
その結果、国旗に赤を使用していない国にはエリアに偏りがあることがわかりました。ひとつは赤道にほど近い国。もうひとつは逆に赤道から遠い国(北欧など)でした。
これらのことからなぜ国旗に赤を使わない国があるか、それはどういう理由かということがわかったのでした。
まず、赤道に近い国は太陽は神さまではなく悪魔であることすらあります。灼熱の太陽は人を殺すほど強力だからです。
また赤道から遠い国は太陽の光は実は赤や暖色に見えません。青白く見えてしまいます。なので恵みの太陽だとしてもそれを赤で表現しない、ということが国旗に現れていたのでした。
あまり共感してもらえないかもしれませんが、こういった話を聞くと個人的にはワクワクします。
なぜなら、勉強ができなくてもすばらしい発見はできる、むしろ勉強しているだけでは新しい発見はできない、そんなところに興奮するからです。
偏差値やテストの点数が低い人でもだれでもすごい発見をできる可能性があるわけで、そういったものでは測れない何かというかに自分たちにもチャンスがあると感じるわけです。
そもそもなぜ伊吹先生がそういったプリミティブな研究の仕方をするかというと、どうやらですが、少年期や青年期の伊吹先生の原体験が関係しているようです。
これは伊吹先生に直接お聞きした話ですが、先生は鼻がとても悪かったとおっしゃってました。たしか慢性的に蓄膿のような状態だったかと記憶していますが、簡単に言えば匂いがほぼわからなかった。
さらには先生は胃も悪く、あまり食事を摂れなかったということでした。全体的にとても病弱なお子さんだったそうです。
匂いもわからないしご飯を食べてもあまりおいしくないとか胃が辛くなるとか、おそらくそんな状態だったのだと思います。
なので、先生にとっては「目」と「耳」がとても重要な意味を持っていたそうです。
その証拠に先生は小学生の時に蜘蛛の新種を発見しています。野山をずーっと観察してたんですね(クラブの先生に怒られて渋々でかけたそうですが笑)。
それが新聞にも掲載され、記事を見た東大の教授に「将来は東大に来なさい」と声をかけてもらったともおっしゃってました。
●「スーパーに一日中立ってろ!」
その後、ご両親のコネでやっとのこと医療事務の仕事についた伊吹先生は、何の変哲もない日々を過ごされたようですが、体が弱い自分にとっては仕方がないと半ばあきらめモードだったようです。
ところが転機が訪れます。コネであの「電通」への入社の打診が来ます。
コピーライターとして電通に入った伊吹先生は入るなり衝撃を受けたようです。某大手歯磨き粉メーカーの仕事でクライアントの部長に言われたそうです。
「君のつくったコピーで売れるのか!?」
答えに窮している伊吹先生に部長は、「答えられないということは売れないということだな!」とつづけざまに言い浴びせました。
そこからでした。伊吹先生は「売れるってなんだ?」というプリミティブな疑問を持つようになります。そして「売れる」ということについて徹底的に研究をしはじめます。
電通時代にアメリカに留学する機会があったそうです。
アメリカのある広告代理店に行き、そこの副社長にどうすれば売れるデザインがわかるかについて訪ねたところ言われたのが、
「売れるデザインが知りたければスーパーに一日中立ってろ!」
でした。
どういうつもりでそれを副社長が言ったか真意は定かではありませんが、伊吹先生がすごいのは本当に1日中立っていたことです。本当に実践したのです。
しかも毎週末の2日を朝から晩まで、それを3年間つづけたそうです(汗)そうしていくうちに、なんとなく漠然と規則性のようなものがわかるようになってきました。パターン認識できるようになってきたわけです。
中でもあるデザイナーがデザインしたパッケージの商品は売れる、と気づきます。それが、このコラムでも登場するレイモンド・ローウィというフランス系アメリカ人のデザイナーです。
ローウィの功績は多岐にわたり、未だに「ああ!あれも!」と誰もが感じるデザインを世に残していますが、伊吹先生はローウィの最後の弟子と言われています。
- シェル石油のロゴ
- 不二家のロゴ
- ナビスコリッツのパッケージ
- タバコのラッキーストライク
- タバコのピース
- リップスティックなどのひねると出てくるあの仕組み
※いずれもほとんどマイナーチェンジしかされていない
ただ、伊吹先生はデザイナーではありません。デザインをつくるのではなく、なぜローウィのデザインだと売れるのか、それを間近でローウィを見ることで解明しようとしたわけです。
こういった伊吹先生の意識やスタンスが、さまざまなノウハウを生み出しました。
- 苦情法
- 着眼法
- メリコの法則
- ブスコンテスト
- 遠目のデザイン・近目のデザイン
- 人は教えたらバカになる
などなどなどなど。。。そしてもちろんさまざまな実績も。
伊吹先生のお仕事としてはやはりアサヒスーパードライのパッケージデザインのコンサルティングが一番わかりやすいかもしれません。
●伊吹流があまり有名ではない理由 ーNo2の重要性ー
ちなみになぜそんなすばらしいノウハウがあまり有名ではないのでしょうか。
伊吹先生は例えるなら教祖さまです。あまり良い例えではないかもしれませんがわかりやすいので。。。
そしてその教えが広まるかどうかは、実は教えの内容よりも宣教師の力量によって決まります。
もちろん内容が大事でないわけではありません。でも、このコラムでも何度もお話しているとおり、おいしいから売れるとかかっこいいから売れるかと言えばそうではありません。
おいしいとかかっこいいとかは当たり前で、その上でどう選ばれるための施策をするか。これが大切です。
キリスト教が世界中に広まったのはやはり宣教師たちの「売る力」「選ばれるための施策」が効いていると考えます。なにせ、
- 聖書によるブックマーケティング
- 十字架=ロゴによるブランディング
をはるか昔からやっているわけですから。
で、やはり宣教師の中でもNo2となる人(教祖の次の人)の影響力が一番大きい。
No2の重要性を示唆する動画では、こちらが有名ですね。
さて、ここからはちょっとバッシングが入ってしまいます。なるべくソフトに伝えますがお気を悪くされないよう。。。
まあ、簡単に言えば一番弟子の人が伊吹先生のノウハウを独り占めしようとしているのかな、という言動がいろいろとあり。。。(私や他の弟子に対し)
私はその人からは「オレを兄弟子だと思え!」くらいに言ってもらったのですが、ウラでは別のお弟子さんたちに私の悪口を相当言っていたそうです。別のお弟子さん(やっぱりNo2が嫌い)がこっそり教えてくれました。
何かにつけて私に対していろいろとマウントしてくる人でした。あるときはAMEXのゴールドカードを私に見せて「お前もこうなりたいだろ?」という何が目的かわからない上に男としてとってもダサいアピールをしてきたり。
それでも伊吹先生の一番弟子なので我慢していたのですが、どうしても許せないできごとがありました。
実はあの超有名マーケッター神田昌典氏。私は神田さんと伊吹先生を引き合わせようとしたことがあります。
伊吹先生の本を読むほどに、伊吹先生の本から影響を受けているなと感じる箇所が神田さんの本から何ヶ所も出てきます。神田さんは間違いなく伊吹先生の本を読んでいる、私はそう確信していました。
当時、神田さんはオーディオ対談セミナーというCD音源を毎月販売していました。対談形式なので、そこに伊吹先生に登場してもらえないかと考えたのです。
そうすればいつもいろいろなお話をしてくれたりノウハウを使わせてくれている伊吹先生に恩返しができると考えたのです。もちろん伊吹流のすばらしいノウハウで救われる企業も増えるだろうと。
私は神田さんに手紙を書きました。そして当時の神田さんの会社、アルマックに送りました。
当時スーパースターだった神田さんが私なんかの手紙にリアクションしてくれるのか、そもそも神田さんまで到達するのか、そんな不安を持ちながらでしたが、なんとか恩返ししたいと手紙を発送したのです。
ほどなくしてアルマックから連絡が来ました。神田さんの秘書の方でした。「ぜひ前向きに検討したい」ということでした。神田さんも私の手紙を読んだとのこと。
うれしくて大興奮でした。私の中での2大神さま的な方が夢の対談をするなんて!それを実現するのが自分だなんて!
そして秘書の方から、対談をする上で伊吹先生が昔出されていた講演のカセットテープを入手してほしいと言われました。話すテンポや話し方、トーンなどを実際に聞き、構成などに活かすために必要とのことでした。
数日後、大阪に出張した私はさっそく伊吹先生の事務所に行きました。
あの神田昌典との対談が決まれば、伊吹先生のすばらしいノウハウが、伊吹流がきっと広まると思うんです、ぜひ先生に恩返しさせてください!こんなことを熱っぽく話しカセットテープを預からせてほしいと伝えました。
伊吹先生はカセットテープは古すぎて手元にない、◯◯(No2)が持っているものしかないと言いました。
伊吹先生の事務所にたまたま来ていた(たまたまなのかな?私が来ると聞いて立場を奪われないか心配で来た説あり)No2に「貸していただけますか?」と聞いたところ、No2はこう言いました。
「伊吹流は口伝(くでん)や。そんなCDなんかで勉強しようとするやつはダメや!」
その後、いかに口伝が大事か、CDなんかで学ぼうとするやつがダメかみたいなことを力説されました。
伊吹先生もNo2の勢いに押されそれ以上強くは言えず「まあ、そういうことですわ」とおっしゃられ対談の話は流れてしまいました。簡単に言えば私に手柄を立てさせたくなかったんだと思います。
ただ、許せなかったこととはこのことではありません。
いいんです。伊吹流が「口伝」だというならそれに従うのが弟子なので、その時は仕方ないと納得したんです。
ところが、数日後でしょうか。
No2は伊吹流のコンサルタントとして自分のホームページを持っているのですが、そのページを見つけて見てみたところ、なんとそのNo2は自分の名前で伊吹流のセミナーCDやオーディオブックをガンガンに販売していたんです。
伊吹先生はネットを使いません。チクリが入らない限りは気づかないでしょう。
「伊吹流は口伝や!」と言っていたNo2がウラでは伊吹流を裏切るような行為をしていたわけです。というか、伊吹先生は講演カセットテープを出していたくらいなので、そもそも伊吹流は音で勉強してはいけないなど一言も言ってなかったと思います。
もしそうだとすると、単純に私の邪魔をするために伊吹先生の眼の前でウソをついたということになります。
つまりは伊吹流が広まり、それによりさまざまな企業が発展することより、自分の欲求を叶えることを優先した、ウラではそのために伊吹先生を愚弄するに等しいウソをついていたということです。
これがNo2(トップ宣教師)だとして、その教えが本当に広まることはあるでしょうか。
●伊吹流の中でもっとも大切で本質的な教えとは
まあバッシングが目的ではないのでこのくらいにしておきますが、結局は伊吹先生のノウハウが思ったほど世に出回っていない理由はNo2にある私は考えています。
なので私がささやかではありますが、伊吹先生を多くの人に知ってもらいたいとコラムでコツコツとお話させていただいているというわけです。もちろん伊吹流が多くのお客さまの役に立つすばらしいノウハウだからですが。
今ではNo2に対して怒りというよりはなんか悲しみみたいなものを感じている自分がいるように思います。
実は伊吹先生もNo2の人格的な問題点を認識していたと思います。
何の拍子にだったかは忘れましたが、No2のいないところで「まあ、あいつはボンボン(金持ちのせがれ)でいろいろとあるかもしれませんが、許してやってください」的なことを言われたことがあります。
その後もいろいろとあり、No2をすっかり嫌いになってしまった私は、伊吹先生にお会いする機会が減ってしまいました。そして伊吹先生も、ご高齢だったため数年前に大阪本町のオフィスを引き払い、奈良のご自宅に戻られていました。
伊吹先生のお気持ちを考えれば、No2に何をどう言われようとお会いしにいくべきだったのかもしれません。だから不義理を働いてしまったと感じているわけです。
結局、No2の思惑どおりになってしまったのかもしれません。このコラムを書くために久しぶりにNo2のホームページを見ましたが、「伊吹 卓のただ1人の後継者として」と書いてあって、不快になりました(毒)。もっとたくさんの後継者がいればもっと伊吹流が広まっただろうに。
まあ、その程度のことでお会いしに行かなくなってしまった自分も小さいですね。。。
そして先日、冒頭でお話した、湖池屋に勤めていて伊吹流を導入しようとされていたお知り合いの方(しかも私が独立したあとのS社とも偶然繋がりがあった方)から連絡をもらって、伊吹先生が1年ちょっと前にお亡くなりになったということを知ったわけです。
なお、この元湖池屋の方は伊吹先生よりもむしろNo2に傾倒していた方でしたが、先日久しぶりにお会いして聞いたところ、やはりNo2とはトラブルがあり信用できなくなり、今は連絡を取っていないそうです。
そう考えると、伊吹先生が不憫でなりません。そう思うことすらおこがましいかもしれませんが。
伊吹先生の名を後世に残していきたいと私は考えています。そのためには、ビズアップがたくさんのお客さまを喜ばせられる企業にならないといけない。使命感を新たにした2023年の1月。
これからも伊吹先生が直接伝えてくださったさまざまなことをお客さまにお伝えしていきたいと思います。
その中で一番大切で本質的な教えは、これにつきると私は思っています。
これは伊吹先生から聞いた言葉ではありません。でも、伊吹先生がされてきたことを知るほどに、これが本質的な教えなのではないかと思うのです。
今回はここまでです。
津久井
投稿者プロフィール
-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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