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10月最後の金曜日、みなさんいかがお過ごしですか?「プレミアムフライデー」ってどこにいったんでしょう?まだやっている会社あるんですかね。
それにしても私の予言が的中しました。
それは「10月に入ったら2022年も終わったようなもの、というくらいここからは時間の経過が早い」というものです。ね、今月も早かったでしょ?(そう感じているのは私だけ?笑)
というわけでコロコロニュース。
ワクワクする注射の被害者遺族が集団訴訟に向かうようです。が、これ大手メディアできちんと報道したところあります?テレビを信じちゃいけないよ。
まあそうでしょうね。わかっていたけどやっとここまで来たという感じか。。。
で、言い逃れできないと思ったのか、逃げる準備でしょうか?法人であれば畳んでしまえば責任追及が難しくなりますものね。
さて、本日は所感となります。人によっては「気持ち悪い」「気分悪い」と感じる話かもしれませんので、読み飛ばしていただいても結構です。
最近、「合理的」「合理化」という言葉に疑問を持つようになったんですよね。
●つながりすぎた世界
唐突ですが、「便利」という言葉、ポジティブな印象がありますが、本当でしょうか?
「便利」という言葉について考えてみます。この言葉は、言い換えるならば「効率化された」「合理化された」といえます。
そしてもうひとつ。何を持ってして「便利」になったか。これは私は持論があります。「便利」とは「つながる」ことだと考えています。
日本は至るところに整備された道路があります。高速道路だって、たくさんありますね。新幹線が開通したのは前回の東京オリンピックの前。東海道新幹線が博多まで延伸したのは1975年なんだそう。その後、新幹線は「のぞみ」の登場により、東京ー大阪間を2時間半で結ぶようになりました。
飛行機だって、1日に日本の国内線だけで2,000便以上!(コ□ナでもっと減ったかもですが)
車や道路、電車、飛行機は物理的にさまざまなものを高速でつなげることを可能にしました。今では、24時間あれば世界の大抵の場所に到着できます。これらにより、人の移動も物の移動(物流)も劇的に早く低コストになりました。
これって、便利になりましたよね。しかし、いくらかの少なくない犠牲も払っていると私は考えます。
たとえば、物流はスピードと低コストを実現することができました。それにより、資金が潤沢な物流会社が強者の戦略を使ってシェアを獲得しました。小さな運送会社は下請けに回るか廃業するしかなくなりました。
私の両親は家庭配置薬業を営んでいました。「富山の置き薬」というやつです。これは今思うと「つながっていないから成り立つ商売」だと思います。すぐに薬を手に入れることができない、でも今すぐに熱を下げたい、怪我を癒やしたい。こんなニーズにより成り立っていました。
人の移動、物の移動が容易になった世界では家に薬など置いておかなくても必要なときにすぐに買いに行けます。置き薬業界は、業界一位の富士薬品ですらドラッグストアを出店するに至っています。
イオンに代表されるような郊外型の大型スーパーに近隣の商店が潰されてしまうのをイメージするのもわかりやすいです。
これだけ高速にものを運べるようになった現在、自社の物流センターとつながり「合理化」された大型スーパーは問屋さんすらほとんど必要なく、どんな商品も販売しています。お客さん側から見ると、さまざまな商品がひとつのスペースで物理的につながっているので、レジも1度通ればすむしたしかに便利ですね。
つながりすぎた世界ではどうやら「大きいものが勝つ」という原理が働きそうです。小さいものを潰したり吸収したりすることでどんどん膨張していくイメージ。だいたいが「じゃんけん」や「三国志」の状態になるといいます。つまり3〜4社程度に絞られる、寡占状態になると。携帯キャリアしかりビール業界しかり。
もちろんその影で小さいものが犠牲になっているわけです。弱肉強食の世界だから仕方ないといえばそうかもしれません。私もそう思って今でも経営しています。
ただ、便利ではないからこそ必要だった仕事が今は片っ端から「効率化」「合理化」という名目でなくなっていることには強い違和感を感じます。
東京ー大阪間、江戸時代は14日間かかったそうです。そのためさまざまな場所に宿場町ができました。宿場町ができれば仕事が生まれ、仕事が生まれれば雇用が生まれます。
つながりすぎていないから宿や飲食店などの店ができ、そこに雇用が生まれ、つながりすぎていないから問屋さんの必要性が生まれ、そこに雇用が生まれる。
今は機械が人の仕事の大半を担っています。これからAIの進化でさらに仕事は奪われます。つまり雇用が生まれなくなります。雇用が生まれなければ消費が起きません。みなさん、どうやって商売するのでしょう?
便利な世の中というのは「つながりすぎた世界」。合理的な世界だからこそ、人が必要ありません。
こうして、世間一般でいう「勝ち組」「負け組」というカテゴライズができてしまいました。雇用にあぶれた人は負け組、良い企業できちんとした雇用にありつけている人は勝ち組、というわけです。
●「便利」は人を実は幸せにはしていない?
「便利」は負け組を不幸にしました。では勝ち組は便利な世の中で幸せなのでしょうか?世間一般のイメージはそうかもしれませんね。
世の中をつなげたものの例として、道路や電車、飛行機などのいわゆる交通機関を挙げましたが、他に世の中を便利にした=つなげたものって何があるでしょう?
今であれば、スマホとその中のアプリがそうかもしれません。LINEなどで友だちと離れていても「つながり」ますし、ブラウザを開けば情報と「つながり」ます。
ちょっと前であれば、メールでしょうか。時をほぼ同じくしてインターネットが世の中をつなげました。物理的制約が減り大幅に「効率化」されました。そのちょっと前は携帯電話が世の中にインパクトをもたらしました。家にいなくても「つながる」わけです。もうちょっと前になるとFAXがそうでしょう。さらに前になると「電話」がそうですね。
これらが世の中を格段に便利にしたということに異議がある人はあまりいないでしょう。私もそう思います。
さて、これらができて、たとえばビジネスの面で私たちはどうなったでしょうか?
便利になったのであれば、仕事は「合理化」「効率化」されるはずです。具体的には、労働時間が大幅に減っても今までと同じだけの生産ができるはずです。毎日15時に仕事が終わっても営業成績は今までと変わらないかそれ以上、こうなっていなければおかしいはずです。
現実はどうでしょう?私が社会人になったときはインターネットがではじめで、まだビジネスでは活用されきっていませんでした。電話とFAX、携帯電話が主流でした。それでも十分便利なはずでしたが、家に帰る時間はほぼ毎日23時過ぎでした。
私が社会人になる前、携帯電話がなかった時代と帰る時間は変わったのでしょうか?もしくは生産性が上がったことにより給料は上がったのでしょうか。上がっていません。
今はどうでしょう。ネットやスマホの出現でさらに便利になりました。しかし、起業したころにもこれらは出揃っていましたが、毎日遅くまで仕事をしていましたし、たいして儲かってもいませんでした。本当であれば携帯電話とFAXで仕事をしていたときよりも帰る時間が早かったり利益や収入が増えていないとおかしいはずです。
ちなみに日本は30年間、平均年収が増えていないと言われています。それどころか国はお金がないといい、社会保険料や税金は上がっています(手取りが減っています)。
おかしいですね。便利になったら、「効率化」「合理化」されたら、結果はもっとよくなっていないといけないのにそうなっていません。
技術が発達してつながりまくったはずなのに、幸せな人より不幸な人のほうが増えています。子どもの7人に1人が貧困となり、救済措置となる子ども食堂は全国で6000ヶ所以上と言われています。
こう考えると、実は「便利さ」「効率化」「合理性」と「幸福度」にはほとんど相関関係、因果関係がないと言えるのではないでしょうか(むしろ逆相関?)。いったい私たちは何をしているのでしょう?
●「交通手段」「通信手段」以上に世の中をつなげてしまったもの
「合理性」についてもう少し考えてみましょう。
たとえば時短家事などはどうでしょう。お母さんは時短家事をすることで、効率的に家事を回せます。その目的はなにか。
本来であれば、時短家事により空いた時間で夫や子どもなど家族とのふれあいが増えるべきです。休憩や趣味に使っても良いかもしれません。そういうお母さんもいるかも知れませんが、空いた時間で仕事をしないと家計が回らないという家庭も現実は多いでしょう。
幸せのための「便利」「合理化」だったはずなのに。
実は「効率化」とか「合理化」、「合理性」という言葉には別の側面があります。それは「経済合理性」というもの。この言葉を聞いたことがある人も多いと思います。
「経済(的)合理性」とは「経済的な価値基準に沿って論理的に判断した場合に、利益があると考えられる性質・状態。(goo辞書)」とのことです。
私たちがなぜ「効率化」「合理化」を求められるかというと、この経済的な価値基準としてどちらがお得かという損得勘定のためです。いわば、経済のために「合理化」「効率化」せよ、ということです。
もっといえば、経済のために不要なものは排除するということでもあります。それがたとえ人間(雇用)でも、です。だって、goo辞書の解説には主語がないですよね。「利益があると考えられる性質・状態」って「誰にとって?」という話なわけです。
経済のために合理化することは、本当に人間の幸福に結びつくのか。便利なものがたくさん生まれているのに不幸な人が増えていることを考えると、答えはNoなのではないかと言わざるを得ません。
デービッド・アトキンソンという人がいます。この人は日本の中小企業は生産性が低いので淘汰するべきだという主旨のことをいったと言われています。だいぶ叩かれたわけですが、それに対しそんなことは言っていないと解説するメディアがありました。
例えば2019年ごろ、「中小企業淘汰論者」と一部の人たちから攻撃されたのは、菅政権のブレーンとして知られた元金融アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。といっても、アトキンソン氏は「中小企業を淘汰せよ」なんてことは一言も言っていない。
以前からアトキンソ氏は、日本経済を復活させていくには、日本企業の99.7%を占める中小企業の生産性向上が不可欠だと主張しており、海外の生産性にまつわるデータや最新の経済論文で分析を進めたところ、中小企業の再編・統合を促していくしかないという結論に至った。
「中小企業の再編・統合を促していくしかないという結論に至った」とありますが、ごめんなさい、これのどこが淘汰じゃないのかわかりません。
この論法だと、先進国で日本だけが癌の患者が増えていることに対し、なぜ癌が増えたかの原因究明をして癌患者が減るようにするのではなく、癌が多いんだからみんな手術するしかないと言っているのと同じです。
この人、ケケ中平蔵と呼ばれる例のおっさんと仲良しなので信用できません。人間は生産性のために生きているんじゃない。
日本の中小企業の生産性が低い理由、それは極度につながりすぎた世界で、大きいものだけが勝つ状態が原因だと私は考えます。それにより物価は下げられ、給与は減り、生産性のために安い労働力の国に雇用と技術が流れた。それらによりさらに高い生産性とやらをムリに求められる負のスパイラルに入った。
多少不便なころのほうが人は幸せだったわけです。
ちなみに、交通手段や通信手段を挙げて「つながりすぎた」例を紹介しましたが、それらの前に世界を圧倒的につなげてしまったものがあります。何かわかりますか?
それは「お金」です。正確には「金融」です。
金融により、ビジネスは世界中に繋がりました。一見良さげなことかもしれませんが、お金が物々交換の道具以上の意味を持ったことでさまざまな問題が生まれました。
「グローバル」「グローバル化」という言葉をポジティブにとらえている人は多いと思います。「世界基準」とか「世界に打って出る」的なイメージですよね。世界を舞台にしている好印象の言葉ですが、意味としてはこれだけではありません。
「グローバル化」とは「平準化」という意味が含まれていると言われています。つまり、グローバル化すると平均的になります。
金融でつながった世界は労働力も外部に委託することができます。中国をはじめとした東南アジアの発展がめざましいと言われていますが、これは世界的に見れば平均的になっていっているといえます。
つまり、もともと平均以上だった日本は下がって、平均以下だった中国や東南アジアが上がった。
経済合理性を考えれば、たしかに安い国に仕事を任せたほうが良いかもしれませんね。そして日本人は職を失います。
職がなくても生きていくことはできるのかもしれませんが、お金がないと生活ができないとほとんどの日本人が、いや世界のほとんどの人が思っている(思わされている)でしょう。
これはお金の奴隷の状態と言っても過言ではありません。
私が通っていたスポーツクラブ、うるさいくらいにマスク着用を言われました。運動のための場所でマスクさせるとかイカれていると思っていました。
ところが、夏になって少し経ったとき、ランニングマシンはマスクを着用しなくてよい、という謎ルールが通達されました。おそらく厚労省からの熱中症対策が発端だと思います。
さて、本当に恐ろしい感染症なら、そしてマスクに本当に効果があると思っているのなら、いくら熱中症対策とはいえマスクを外してOKなどと言うでしょうか?
コ□ナ騒動でまっさきに槍玉に挙がったのは彼らです。つまり、彼らはコ□ナを恐れているのではなく、仕事がなくなることを恐れているのです。お金の奴隷です。
仕事がなくなるかもしれない。それだったら、他人の権利とか自由より自分の生活を守るために他人にルールを守らせよう。こういうロジックが働いており、「そのルールが本当に必要か」にまで思考が進みません。自分の生活を守るために人の権利と自由を奪う。
だから多数決は間違うんです。民主主義の最大の弱点は、それを構成する人民がバカだったら結果が間違うということです。
アウシュビッツ強制収容所でユダヤ人を大量虐殺したのは、残虐なナチスの兵隊ではなかったそうです。むしろ公務員のような人たちが、上から決められたルールだからと粛々とユダヤ人たちを殺していった。おそらくこれも自分の生活を守るためにやったのではないでしょうか。
このように、私たちはお金でつながされてしまいました。ひとりひとりにお金という足枷をつけられてしまいました。
武士の時代や太平洋戦争のころの日本人は、他の人のために平気で自分の命を使える(使命)人たちが大勢いました。ことの良し悪しは置いておいて、諸外国が日本を恐れた理由はこれだったのではないかと思います。
今はすっかり鳴りを潜めてしまいましたが。
●経済の向こう側
これら経済合理性の行きつく先は何でしょうか?それがこういう世界です。
人間にマイクロチップを入れて管理するような世界です。多少飛躍した話に感じるかもしれませんが、つぶさにみていけばそうだろうとわかると思います。経済のために人間を管理したほうが合理的なので、個人の幸せとかは忘れてください、という話です。
これを提唱しているのが「世界【経済】フォーラム」というところですからね。こういうのを陰謀論だとバカにしていた人たちは今何を思っているんだろ。何も考えてないか(笑)。
大人たちが居酒屋でくっちゃべっているのに、学校では子どもたちが「黙食」というバカなルールに縛られています。マスクのルールだって厳しいです。
そもそも子どもは感染、発症しても軽症ですよね。人間は唾液(飛沫)を交換することで体が強くなることは理科でも習いました。なぜ人間にキスをするという習性があるのか考えればわかるはずです。
以前もお伝えしましたが、子どもにやっていることは感染対策ではなく管理社会の下地作りのための訓練です。子どものころに洗脳するのが一番「合理的」「効率的」なんです。そうしてマイクロチップを入れることに何も疑問を持たない人間が育っていくというわけです。
ここまで来ると、合理化すること、効率化すること、合理的に考えることは「悪」のように感じるかもしれません。しかし、それは違います。ひとつの事実はポジティブにもネガティブにも転びます。「合理化」「効率化」そのものが良いとか悪いとかではなく、その向う側にあるものに目を向けなければ本当のことはわかりません。
つまり、何のために「合理化」「効率化」するのか、という問いを持てるかどうかが重要だということです。「why」が重要なのです。お話してきたように、今行われているのは「経済のための合理化」であり、「便利さ」と人間の幸福度に因果関係も相関関係もおそらくないといえます。
ここでまたひとつ持論をお伝えします。それは、
- 人間関係は非効率であるべきだ
ということです。
ビジネスマンはなぜ接待をするのでしょう?クレームが発生したときにメールでお詫びするのはなぜ不謹慎だと感じるのでしょう?zoom呑み会よりリアル呑み会のほうがなぜ楽しいのでしょう?これらは合理性とは対極にありませんか?こういったことは枚挙に暇がありません。
マーケティングとは、いかに効率的に利益を上げるかを追求したものといえます。昔ある人に言われました。マーケッターは組織づくりが下手だと。なぜなら人間関係に効率を求めるからだと。
それからその言葉が頭から離れませんでした。いろいろ考えた結果、人間関係は非効率であるべきだという結論に私は至りました。
つまり何が言いたいかというと、すべての「合理化」「効率化」は、経済のためではなく、非効率な人間関係のために行われるべきだということです。「合理化」「効率化」して生まれた時間は、非効率な人間関係のために使われることで人は幸せになれるのだと考えます。
そうしなければ人間はおそらく経済のために犠牲になります。いや、正確に言えば経済的支配(経済による支配)の犠牲になります。
最後にとても示唆に富んだ動画をご紹介します。これを見て、みなさんは何を感じるでしょうか?
行き先が「Nowhere」になっています(苦笑)。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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