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長男(中3)が、美術の実技テストで満点を取ったそうです。本日のオープニングトークは、息子自慢で和んでいただきます(笑)。
実際に長男が描いた画をご覧ください。テーマは「自分の手+α」だそうです(「+α」は自由に設定)。
手の向こうにいるのは、長男いわく「すごい毛深い人、またはゴリラ」だそうです。何その設定(笑)。あとなんでゴリラに目隠し線を入れているのか?
ちなみに、美術の実技が満点だったのは学年で6人だけ(1学年おそらく120人くらい)だそうですが、デザインや絵のことを長男に教えたことは一度もありません。
というか、デザイン会社の社長ですが、私は絵が下手です(すんません)。あと目隠し線ゴリラを評価してくれた美術の先生、ありがとう(笑)。
さて、今週のコロコロニュース。ウクライナ・ロシア問題が出てから伝えたいことが盛りだくさんすぎて、コラムの趣旨が変わりそう。。。どうしましょう。
ちなみに、これらの情報が事実かどうかの確認はなかなか難しいです。人により解釈も入るでしょう。そのあたり、鵜呑みにせず自分の頭で考えながら受け取ってもらえればと思います。
「情報は兵器」という言葉があります。いろんな情報を受け取って総合的に判断しましょう。
そういえば楽天の三木谷さんがウクライナへの募金を募集したら、2日で10億集まったとか。。。これはいろいろな人が言っていることですが、そのお金は何に使われますか?
戦争をしている国にお金を送るという意味がわからない人が多い。少なからず武器購入に回りますよ。しかもユニセフを通しているところが個人的にはまた怪しい(笑)。
私だったら、本当にウクライナを助けたいなら、食料や生活必需品などの物資を送るように手配しますね。それこそ楽天に出店しているショップの商品を募金で購入すれば、喜ばせられる人も増える。
楽天に悪意があったかはわからないけど、三木谷さんほどの人がそんなことをわからないわけがないとも思う。楽天はアメリカが起こした戦争で戦場になった国に寄付しないのはなぜ?と思う。
広告(ブランディング)効果を狙ったパフォーマンスだと言われても仕方がないくらい、ちょっと浅はかかな〜。でもそれに引っかかる人もたくさんいるのか。。。
楽天に限らず募金がすごいされていますが、お金を渡すということがどういうことかをもっと考えないと。寄付したみなさん、みなさんの善意は利用されている可能性がありますよ。だからよく調べないといけないわけです。そうしないと善意も悪用されるんです。
ウクライナにアメリカの生物兵器の研究所が15ヶ所もあるという記事(メインストリームのメディアは「ロシアのデマだ!」としかいわない)※グーグル翻訳して読んでください。
「ロシアけしからん!」という人は、なぜイスラエルのシリア空爆やアメリカが起こしたイラク戦争を「けしからん」と言わないのでしょう?イラク戦争なんて、「大量破壊兵器をイラクが隠し持っているから」という理由でアメリカが起こしたのに、結局「大量破壊兵器ありませんでした〜」ってなってますよね。
拾い物の画像ですが。。。
つまり、みなさんアメリカやイギリスなどの「西側」のブランディングにまんまと引っかかっているということです。そろそろ本当の平和を望みたいですね。
それにしても私もなんでこんなにムキになっているんだろう。。。もう少し平和なコラムに戻さないと。早くこんな話しなくていい世界に戻らないかな(しなけりゃいいだろ 笑)。
では、今日のお話です。
今日は「イメージの力」というお話をしてみたいと思います。
●なぜそれが「悲しんでいる」とわかるのか?
人間はどうやってコミュニケーションを取っているか、というと、もちろん言葉で取るわけですが、言葉だけでは成立しないことや言葉が必要なく成立してしまうコミュニケーションもあります。
たとえば、伏し目がちで目を潤ませている人を見たら、その人はきっと悲しいことがあったのだろう、と誰もが想像しますよね。
それがわかるのは普通に人間として生きていればあたり前のことです。でも、よくよく考えてみてください。
なんで悲しいとわかるんでしょう。
「悲しいです」と言われたわけではないのになぜ悲しいのだろうと想像できるのでしょう。
それは、人が悲しいときにどんな顔をしたり仕草をするかを誰もが知っているからです。
「知っている」という表現がまた曲者なのですが、正確に言うと「意識はしていないけど認識している」という状態だと考えます。人間の表情に関しては、人はもはや遺伝子レベルで「知っている」と言えると思います。
つまり、「感じる」ということ。「言葉だけでは成立しないことや言葉が必要なく成立してしまうコミュニケーション」の場合、そこには必ず何かしらの「感じる」が媒介しています。
これは当たり前すぎて誰も気づいていないと思いますが、人間特有の「特殊能力」だと私は考えます。
目が見えず、耳が聞こえず、言葉を話せなかった三重苦のヘレン・ケラー。家庭教師のサリバン先生がどのように自分の感情を伝えたかというと、怒っているときは極端に怒った顔をつくって顔中をヘレンに手で触らせて認識させた、とたしか昔教科書で読みました(昔は教科書以外の本を読まなかった 汗)。
これってすごいことですよね。きっと遺伝子レベルで「怒っている」ということがどういうことか認識していないと理解できないことだと思うんです。
そしてそこに言葉はありません。
ちなみにですが、前述の「伏し目がちで目を潤ませている人」という言葉を読んでおそらくどんな雰囲気のどんな人か、勝手にイメージ(頭の中で思い描く)しませんでしたか?
もっと言えば、そこでは「女性」を想像しませんでしたか?私は「女性」とはひとことも言っていないのに。
なんだかメンタリストみたいなことをいいますが当たっているのではないでしょうか(外れている人もいるとは思いますけど)。
それは、
- 伏し目がち
- 目を潤ませる
- 仕草
などの言葉が女性的なイメージを内包する言葉だからです。これも立派なイメージの力です。
さらにここに情景を加えてみましょう。
- 自分のベッドの上で・・・
- 壁にもたれながら・・・
- ぬいぐるみを抱えて・・・
- 伏し目がちなその目を潤ませている人
になってくると、10代とか20代前半の女性できっと男の子にフラれたのだろう、みたいなイメージが出てきませんか?
50〜60代の女性がこれやってたらちょっと引きますよね。私もうちのオカンがこれやってたら戦慄が走りますもの(笑)。そして、これも「そんな人がいたらヤバい」と「感じ」ているわけです。
これってこのように言葉で説明しても情景がありありと浮かんでくるし、逆にこの情景を見ると「きっとこんなことがあったのだろう」ということが言葉にできる、言葉と画(え)の結びつきがとても強い状態です。
情景を見ると必ず何かしらのイメージを持ってしまう、それが人間だもの(みつを)という感じです。
とにかくイメージの力は強いわけです(だから何をイメージするか、させるかが大事)。
●なぜピアノを片手で弾かなくてはいけないのか?
あるイメージを含む「らしさ」を生むもの。これは何も情景だけではありません。たとえば音楽などもそうです。
今から伝えるワードで出てくる音楽、ありませんか?
「運動会」
多少のばらつきはあれど多くの人が特定の曲を連想したと思います。逆にその曲を聞けば、運動会の情景がイメージされると思います。運動会を「感じる」し、はやる気持ちになる人も多いと思います。
元気が出るメロディライン、悲しげな気持ちになるメロディライン、はたまたスーパーでかかってそうなメロディライン、沖縄らしさを感じさせるメロディライン、なぜそれを連想したりそういう感情になるかってすごく不思議ですが、とにかくこれは人間に備わったものすごい能力です。
この能力を総称して、私は「感じる」としています。
ちなみに有名なこちらの動画、知っていますでしょうか?
これ、ものすごい中毒性で私も何度も見てしまいました。
ダンス部の女子高生たちがバブル時代のイメージを再現したこの動画。服装や化粧などの見た目からバブルを感じるのは、バブルがまだ比較的記憶に新しいところでもあるからですが、「振り付け」からバブル感(イメージ)を表現するということはとてもすごいことです。
「なんとなくバブル時代の動きや表情っぽい」というイメージがたしかに多くの人の無意識の中に存在していて、そこを表現しているのがすごい。
ところで、情景、音楽、人の動きから、何かを「感じる」というお話でしたが、言葉そのものから感じることもあります。「感じる言葉(R)」と定義しています。
たとえば、「そこを右に行くと駅です」という言葉からは何も感じません。駅の位置を確認しただけで、それ以上でもそれ以下でもないです。
極稀に「え?マジで??右に行くと駅なの??めっちゃテンション上がるんですけど〜!!」という駅に病的な興奮を覚える人がいるかもしれませんが(笑)
ところが、
と言われたら(歌われたら)何かを感じませんか(なぜこの曲か? 笑)。若い方だと「ダイヤルって何?」かもしれませんが(汗)。
「電話しようとしたけどためらってやめた」
と比べてみていかがですか?どちらのほうが「感じ」ますか?私は圧倒的に前者です。
前者はなんとなくシーンは夜で、公衆電話ボックス(これも若い人からすると。。。)で、ひとりさみしげな女性がたたずんでいる画(え)が浮かびませんか?
今の若い人たちだと「スマホの電話ボタン押そうと思って手を止めた」になるんですかね(笑)。「LINEを打ってて手を止めた」とか。。。
私の好きな作詞家にもう亡くなってしまいましたが「阿久悠」という人がいます。それこそ若い方だと知らないと思いますし、私自身もリアルタイムかと言われればそうではなく、私の親の若いころの楽曲がとても有名です。
壊れたピアノで 想い出の歌 片手で弾いては ため息ついた
時の過ぎゆくままに この身を任せ 男と女 漂いながら
落ちてゆくのも 幸せだよと ふたり冷たい 体合わせる
(沢田研二 時の過ぎゆくままに 1975)
沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」という曲です。ちなみにこの曲が出たときは私も生まれてません!
しかしこの一節をとっても感じる言葉の宝庫ではないでしょうか?
「壊れたピアノ」は、壊れていることで情緒を「感じ」ます。
これが「グランドピアノで~♪」だったら情景のほうが壊れますよね(笑)。「壊れたスマホで」だとしてもスマホのイメージに切なさがないのであまり「感じない」ですよね。「画面がバキバキなのかな?」と思ってしまいます。
「片手で弾いては」
これだって、片手で弾く画(え)が歌詞の文脈、曲調と相まって寂しさとか切なさとかやるせなさとかひとつの単語では表せないシーンや心情を感じさせます。「両手で弾いては」だったらわざわざ言う必要すらない(笑)。つまりそれだけ「片手で弾いては」に情報が詰まっているということです。
「男と女 漂いながら」
はどうでしょう?別に漂流しているわけでもプールにいるわけでもない、そんな画(え)は浮かばないと思います。これは男女の「心情の揺れ」を「漂いながら」と表現していると「感じる」ことができますよね。
ただ、阿久悠のすべての歌詞がこのように秀逸かというと、ちょっと世界観がわからない歌詞もあります。
(ピンク・レディー カルメン’77 1977)
この歌詞はナゾです(笑)。「もちろん」って言われても。。。
●イメージの力はほうっておくとトンデモナイ方向に勝手に向かう
さて、登美丘高校ダンス部の話に少し戻りますが、マハラジャやジュリアナ東京で踊っていた当時の女性たちがこんな高度な踊りをしていたわけではないのに、「バブルっぽい」が伝わるってよく考えるとすごくないですか。
- 言葉を聞いただけで
- 音を聞いただけで
- 動きを見ただけで
- 何かの画(え)を見ただけで
特定の感情になったり情景が浮かぶ。
この特定のイメージを「らしさ」といいます。
このコラムで何度も登場する「メリコの法則」の「リ」。「リ」は「理解できること」ですが、「理解できる」にはこの「らしさ」もとても重要になってきます。
文章で説明的に「理解させる」ということもありますが、言葉を介さなくても理解させる、または短い言葉なのに圧倒的な情報量を含んでいる「感じる言葉」で理解させる。「らしさ」はとても重要な要素となってきます。イメージの力がそれだけ強力だからです。
私たちが生業としている「デザイン」という仕事は、多くの人が持つこのイメージの力を利用して、特定の感情にさせたり特定のアクションを起こさせたりします。
こういうと、
「え?でも特定の感情にさせたりアクションを起こさせたりすることができるなら、文章で伝えてもいいのでは?」
という疑問が出るかもしれません。しかし、文章(言葉によるコミュニケーション)ではダメな場合もたくさんあるんですね。
たとえば、雑誌に広告を出そうと思えば限られた紙面スペースの中で必要なことを伝えなければいけません。
伝えたいことをすべて文章として盛り込めるほどのスペースが与えられるとは限りません。
ホームページであればTOPページにランディングされた1秒から長くて10秒程度で、
「ここは私が探していたサイトかもしれない」
「だからもう少し見てみよう」
という感情にさせなければ「戻る」ボタンを押されてどこかに去られてしまいます。文章で説明していては遅い。
スーパーの売り場も同様で、夕方の忙しい主婦にその棚の前に立ち止まる一瞬(数秒から数十秒)で「手に取ってみよう」と思わせなければ素通りされます。夕方の主婦がまじまじと商品に書かれた文章を読むことはまれです。
テレビに出ればその話し方や話す速度、服装などのさまざまな情報が何かしらの「らしさ」を伝えてしまいます。
伝えたくない「らしさ」、たとえば
- 怖そう
- 胡散臭そう
- 質が悪そう
- 悪い人そう
- 不潔そう
こんなような「らしさ」を伝えてしまったら致命的で、それを言葉で挽回できるほどの時間や権限は出演者に与えられないことがほとんどです。
なので、言葉だけではなくイメージの力は自社のブランディングを行う上で必要不可欠な存在となります。
また、イメージの力「らしさ」は上手に活用すればものすごい力を生むことができますが、
「イメージの力を使うつもりはないからほうっておいていいや」
という代物ではなく、ほうっておくとトンデモナイ方向に勝手に向かってしまう危険性をはらんでいます。常日頃からコントロールすることが大切です。
なぜなら、人間は見たものや聞いたことから、必ず何かしらを「感じてしまう」からです(「デザインの無拒否性(C)」)。「ウクライナ侵攻」といえば「ロシアが悪い!」と「感じてしまう」人が大半ですよね。
さて、自社がブランディングできているかを知る魔法の質問というものがあります。
それはターゲットに対して「〇〇と言えば?」と質問するだけです。
たとえば我々であれば「ロゴデザインの会社といえば?」となります。そこにつづくターゲットの答えでどのくらいブランディングができているかを推し量ることが可能です。
この質問の面白いところは、「〇〇」に自社の名前を入れるとターゲットが持つ特定のイメージや、どのように認識されているかを引き出すことができるという点です。
たとえば、「ビズコーヒー」という架空の喫茶店があったとして、ターゲットや商圏の人々に「ビズコーヒーと言えば?」という質問をするのです。
そうすると、ビズコーヒーに対してまわりがどのようなイメージ、らしさを抱いているか、どのように認識されているかがわかります。
ポジティブな回答もあればネガティブな回答もあると思います。ポジティブな回答でも自分が思い描いていた「らしさ」とは違う回答が返ってくることもあります。
これらを精査してどうやって表現していくかがブランディングへとつながっていきます。
ブランディングとは私の定義では「選ばれるための施策全般」ですが、そのうちのひとつがこのようにターゲットが持つ抽象的なイメージ(らしさ)の塊をコントロールしていくことでもあるのです。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
-
ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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