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大阪万博が開幕しましたね。そんな中、昨日から関西に出張に来ております。
品川からの往きの新幹線も新大阪駅ももっと混雑していると思っていたのですが、そうでもないですね。。。
SNSを見ると万博はやはり評判悪いですよね。並ばない万博のはずなのに長蛇で帰りの電車に乗るのに5時間待ちとか。近未来の「空飛ぶクルマ」が飛ばないとか(爆)。
他にも、子ども用トイレが便器丸見えで仕切りがないことに、プライバシーや犯罪の面から考えてどうなんだ?という声が挙がっているようです。
これに対して万博側が、「TOTOのトイレを参考にした」と回答したもんだから、TOTOがブチギレたらしいですね(笑)。
TOTOは「確かにそういう商品はあるが、幼稚園などの限られた空間用につくられていて、不特定多数の人が出入りする公共のトイレで使う想定はしていない」と。
勝手に名前出すなってことだと思うんですが、とんだとばっちりですね。ブランド毀損されかねない。しかも「TOTOのトイレを参考にした」って簡単に言えばパクっとりますやん、という話ですし。
しかし、ネットの情報ばかりをインプットするのもどうかと思い、昨日会った人2名に「万博どうですか?」と聞いたところ、元気に「行く!」という回答が。
関西の人の一部はやはり普通に楽しみにしているのだとわかりました。
私は行きませんけどね(汗)。並ぶのが猛烈に嫌いなんですよね。
実は2005年の「愛・地球博」は行きました。ヨメの実家が近かったので(まだ結婚前でしたけど)。でもわりとすぐ帰ったな。人気パビリオンは長蛇だったし。トータルで3時間くらいしかいなかったんじゃないかな?
それでいうと並ぶの嫌いすぎてディズニーランドに行って1時間半で帰ったことありますけども(汗)。それ以来ネズミの国には行ってないな。。。
万博に行きたくない理由がもうひとつあります。これは万博に行きたい人にとって気分の悪い情報だと思うので、気分を害されたらごめんなさい(ただ、信憑性はそんなにないです)。
天才マンガ家、浦沢直樹の「20世紀少年」というマンガには、大阪万博で大きな事件が起きるという描写が出てきます。
このマンガが連載されていたときは、何の気にもとめませんでした。マンガのストーリーですから。
しかし、コ□ナで様相が変わってきました。20世紀少年の中にはどうもコ□ナだよな、と思われる描写があるんですよね。
他にも都市伝説、陰謀論好きからすると、物語の内容にリアルにこれらが組み込まれていて、一部はノンフィクションなんじゃないかと思っちゃうわけです。
で、大阪万博ですよ。
実はこのマンガが連載されていたとき、2025年の万博の開催地は大阪とは決まっていなかったんです。気持ち悪っ!
マンガには「よげんのしょ」というのが出てくるんですけど(主人公が子ども時代に描いた)、「このマンガ自体が予言の書やん!」ということでコ□ナのころにネットをちょっと賑わしたんですよね。
「浦沢はやっぱり天才や!」という声もあれば、「いやいや、こういうシナリオがすでに決まっていてそれを知っていたんだろ」など、さまざまな意見が飛び交いました。
というわけで、君子危うきに近寄らず。
なんだか終わったはずのコロコロニュースっぽい書き出しになってしまい恐縮です。
ちなみに昨日「万博に行く!」と言っていたうちの1人は、大学時代からかれこれ30年の付き合いになる友人なんですね。
その友人は神戸に住んでいます。なので、万博のことだけでなく、兵庫県の斉藤知事問題についても聞いてみました。
斉藤知事の問題は、テレビなどのオールドメディアでは一方的に斉藤さんを悪に仕立てようとする偏向報道がされています。
一方、ネットなどのニューメディアの中の世論は、ほぼほぼ「斉藤さんは悪くない」「オールドメディアが斉藤さんを貶めようとしている」という方向性です。
これについて、地元の人たちはどう思っているのか。
その友人は仕事柄、県議なんかとも付き合いがあるので言いづらそうでした。ただ、「斉藤さんも亡くなられた竹内さんも直接知っているけど、めちゃくちゃいい人」と言っていました。
なるほど〜。やはりリアルな声を聞いてみるもんですね。オールドメディアでは斉藤さんが対立している竹内さんを死に追いやったという、何を根拠に言っているのかわからない対立構造を煽っています。
しかし、どちらもいい人だったとすると、彼らは本当に対立していたんでしょうか。もっとウラで黒い大きなものが動いていて、対立させられていたんじゃないかと予測してしまいますね。
ほんと、インプットによってアウトプットの内容や質は変わりますね。
というわけで、本日は「インプット」「アウトプット」という切り口でお話してみたいと思います。
●インプットとアウトプット
そもそもインプットとアウトプットとはどんなことを指すのでしょう?
なんとなく考えるならば、インプットは「情報を入れる」、アウトプットは「行動をする」ということではないかと多くの人が思っていると思います。
私の見解では、これは間違いではないのですが、これだけだと本質的ではないというか、足りないと考えます。
「情報を入れる」も「行動をする」も、能動的、意識的な行為です。
しかし、人間は意識しなくても何かしらのことを「インプットしてしまう」、「アウトプットしてしまう」というのが私の見解です。
この「無意識にしてしまう」というのがくせ者というか厄介というか、実はものすごい影響力があると思っています。
「無意識にしてしまう」というものも含むという観点で考えると、インプットはいわゆる一般的な「本を読む」「勉強する」と言ったような能動的なことの他に
- テレビを見る(情報を取りに行くというよりとりあえずテレビをつけておくという感じ)
- 音楽を聴く
- (スマホ等の)ゲームをする
などのことも含まれてきます。
「ゲーム」は行動が伴うので一見アウトプットのように感じます。もちろんそういう面もあるのですが、個人的にはインプットだと思っています。
スクリーンに釘付けになり、それ以外のインプットを遮断してしまい、かつアウトプットの質は低い(生産性がない)からです。言い換えるなら「質の悪いアウトプットを伴うインプット」という感じでしょうか。
もちろんゲームの中には思考を巡らせないといけないタイプのものもあるでしょう。そういったものは良いのですが、大して何も考えずとも反射的にできてしまうようなものは危険だと思います。
アウトプットも同様で、いわゆる一般的な「行動に移す」だけでなく、無意識にしてしまうアウトプットがあると考えます。
たとえば電車に乗っているときに、スマホを見るのも音楽を聴くのもやめてみてください。自然と頭の中で何かしらのことを考え出すと思います。私はこの「ついつい頭の中で何かしらを考え出してしまう」ということもアウトプットに含むと考えています。
他にも、ギターを弾くとか絵を描くといったことももちろんアウトプット。
私は我が家の子どもたちには何でもいいのでこういったアウトプットをしてほしいと伝えています。我が家の子どもたちも類にもれずゲームが好きですが、そこは時間を決めて終わらせて、空いた時間で何かしらのアウトプットをしてほしいというふうに(もっとわかりやすく伝えていますけども)。
とはいえ、ゲームを終えたと思ったらスマホでYouTubeのゲーム実況動画とかを見はじめたりして、親の愛はなかなか届かないと感じております(苦笑)。
繰り返しますが、重要なのは意識するしないに関わらず、人間は何かしらを「インプットしてしまう」、または「アウトプットしてしまう」という点です。そしてこれも繰り返しになりますが、無意識は恐ろしいですよ。思っている以上に人間に影響を与えていますから。
●アウトプットの重要性
インプットとアウトプット、どちらが重要かというと、これもさまざまな見解があると思いますが、私はアウトプットこそが大切なのではないかと考えています。
アウトプットは先ほどお話したとおり、頭の中で何かを考えることも含みます。言い換えるなら、何かを生み出すのがアウトプット。それが頭の中だけなのか行動として現れるのかの違いはあれど、どちらもアウトプットだと考えます。
アウトプットのほうが重要だと考える理由のひとつは、まさにこの「何かを生み出している」という点。ほとんどのアウトプットが何かを生み出しています。それが頭の中であろうとも(ただし行動は重要)。
インプットだけでは何かを生み出すことはありません。よくビジネスの勉強をめちゃめちゃしているのにそれをまったく仕事に活かせない人のことを「ノウハウコレクター」と言ったりしますが、これはインプットのみでアウトプットをしていないことの典型例です。
アウトプットが重要だと考えるもうひとつの理由は、「習得する」ためにはアウトプットが必要だからです。
漢字を覚えるのも英単語を覚えるのも、ノートに書いて練習するというアウトプットを伴うことがほとんどです。
もしインプットのほうが大事だとするならば、見ただけで漢字が書けるようになる、英単語のスペルを間違えなくなる、理屈を知っただけでギターが弾けるようになる、ということになりますが、実際はそんなことはまったくないですよね。
●アウトプットの量と種類にこだわれ!
さて、アウトプットが重要だとする理由のひとつが「何かを生み出しているから」とお話ししましたが、ではギターを弾いたり絵を描いたりすることと、ゲームによるアウトプット、どちらも何も生み出していないじゃないか、なのにギターを弾くのはよくてゲームをするのはダメなのはおかしくないか?という疑問を持たれたかもしれません。
これに関しては、「何を目的にするか」が重要になってきます。
ミュージシャンになるならギターを弾くというアウトプットが重要になりますし、ゲーム開発者になるならゲームをするという一見生産性がないアウトプット(インプットでもある)は重要です。だから一概にゲームによるアウトプットが悪いとは確かにいえないと思います。
が、私はそれでもゲームはほどほどにしておいたほうがよいと考えます。
大人もそうですが、特に子どもは、アウトプットの質にこだわるよりも、どちらかというと量と種類にこだわったほうがよいと考えています。
サッカーチームに所属しているからといって全員がプロサッカー選手になれるわけではありません。ギターを弾くというアウトプットをしたところで、ミュージシャンとして生活できるとは限りません。
しかし、さまざまな種類のアウトプットをたくさんすることで(量と種類)、「アウトプットできる頭をつくる」ということこそが大切だと考えます。アウトプットできる頭があれば、将来仕事なり生活なりのさまざまな場面でアウトプットできる能力が身につきます。
こういった「アウトプットできる頭」をつくるために、さまざまな種類のアウトプットをたくさん経験しておいたほうがいい、ひとまず若いうちは質は問わない、ということです(もちろん大人になっても)。
ところが、ゲームはその中毒性の高さから、他のインプットを遮断してしまったり、アウトプットする頭をつくることを妨げてしまうと考えています。さまざまなアウトプットのひとつがゲーム、であるなら良いのですが、そうならないケースが多いというのは想像に難くないと思います。これはゲームが中毒性を持っているからです。
「ゲーム」そのものが悪いというよりも、「アウトプットの量と種類が足りなくなってしまうこと」が「考える能力」を育むことを阻害してきたのだということです。
なので、何もゲームに限ったことではありません。たとえば、私が高校生とか大学生のころなどは、「東大生は仕事では使えない」と言われていました。
これは、すべての東大生がそうだとは言いませんが、「勉強」というインプットとアウトプットしかしてこなかったことが原因だと私は考えています。
こういう人が官僚とかになっていくことを考えると、コントロールするのも容易いと思っちゃいますね。そりゃ腐敗するわけだと。
逆に言えば、東大生でもさまざまな種類のアウトプットをしてきた人は、その地頭の良さからいろいろな場所で活躍できる人になったのではないでしょうか。
さて、「ゲームばかりやっていると危険」。このことから、アウトプットとインプットの関係性が少し見えてきます。
●インプットのしすぎで人はバカになる
- インプット+アウトプット=24
ちょっと謎の数式が出てきましたが、それほど難しい話ではありません。「24」とは「24時間」、1日を指しています。
つまり、インプットとアウトプットには上限があるということです。
インプットとアウトプットをあわせて24時間しか使えない(寝ている時間を除くともっと使える時間は少ない)。ということはインプットの量が増えればアウトプットは減り、アウトプットの量が増えればインプットの量が減ります。
この「24」は別の言い方としては「脳のキャパシティ」とも言えるかもしれません。いずれにせよ上限があるので、インプットとアウトプットの配分を考えなければならないということです(だからゲームというインプットで時間を費やすことは危険)。
そして、インプットでは何も生み出すことはできません。もしインプットだけで24時間を使ってしまったら、「思考」というアウトプットすらしなくなります。言い換えるなら何も生み出せない人間になってしまうということです。
「んなことあるかい!」と思うかもしれません。ここで思い出してください。「インプットもアウトプットも意識しているかどうかは問わない」わけです。
つまり、テレビを見せる、ゲームにハマらせることができれば、「思考」というアウトプットすらさせないことができるということです。
2020年、コ□ナがはじまったころ、「コ□ナ脳」「コ□ナ怖い派」の人たちは、私の見立てではおそらくインプットの量(特に無意識のインプット)のほうが圧倒的に多く、アウトプットできる頭になっていないうえに、アウトプットする時間も少ない人が大半だったと推察します。
なのでテレビの情報を鵜呑みにして「本当だろうか?」というアウトプット(=思考)をしていなかったのではないかと思うのです。
実際に、戦後にGHQは「3S政策」というものを打ち立てて日本人をバカにしてしまおうと考えたらしいです。「3S」とは「スクリーン」「スポーツ」「セックス」の頭文字です。「スクリーン」、つまりテレビとゲーム、今ならスマホですね。
もしこれが本当ならば(私は本当だろうと考えていますが)、やはりインプットよりもアウトプットのほうが重要だという裏付けにもなります。
これらのことから、私はインプットだけをしつづけると人はバカになると考えています。
ビジネスにおいても、自分で考えて行動に移せる人のほうが活躍できるのは当たり前ですよね。インプット漬けの脳みそになってしまうと、自分で考えて行動に移せる人間とはほど遠い人間になってしまうということです。
つまり、多くの「考えられない社員」を生んでいるのは、大量のインプットのせいだということです。特に無意識のインプット。
そうならないためにも、若いうちにいかにたくさんのアウトプットをしたか(量と種類)がカギになるというのが私の見解というわけです。アウトプットぐせのついた脳みそになれるかどうか、ということですね。
●質の良いインプットとは?
さて、「アウトプットのほうが重要」と主張してきましたが、ではインプットがまったく重要ではないのかというと、もちろんそんなことはありません。質の良いインプットはある程度必要です。
では、質の良いインプットとはどんなものでしょう?
私は「質の良いインプット」は「アウトプットさせる力があるかどうか」だと考えます。そのインプットはアウトプットを促すものなのか。例で挙げた悪いインプットであるテレビ、ゲーム、スマホはアウトプットを促すとは言い難いです(まったくないとは言いませんが)。
ビジネス書などは、ビジネスマンにとっては読むと「自社に置き換える」という思考(アウトプット)を促すことが多いですから、質が良いインプットだと考えます。
「思考」だけでなくさらに「行動」というアウトプットまで意識して本を書いていたのが、神田昌典さんです。彼は、読者がどうすれば行動というアウトプットを起こすかを考えて本に落とし込んでいたんですね。
まあこれも、インプット漬けの脳の人だと読んだところで何もアウトプットできないんですけどね。だからインプットの量と質には十分な注意が必要ですね。
インプットの質は時間の長さは問いません。長く時間をかけたほうがインプットの質が高いということはないということです。だから、質の良いクリティカルなインプットをしてさっさとアウトプットするほうがいい。24時間の多くをアウトプットに費やしたほうがいい。
では、どうすればインプットの質を高められるか(つまり、アウトプットをたくさんできるインプットになるのか)。
禅問答みたいな答えになりますが、アウトプットをたくさんする、ということがインプットの質を高めると考えています。
なぜなら、たくさんアウトプットすると、その思考や経験(成功も失敗も)から、「必要なインプットが見えてくる」からです。何をインプットすべきかはアウトプットが教えてくれるということです。こうすると無駄なインプットをしなくてすみます。
そろそろまとめたいと思いますが、ビジネスマンにとってのアウトプットを鍛える方法のひとつは、インプットを止めること。テレビを見ない、スマホを見ない、音楽を聴かない時間をつくることです。「空白の時間」といってもいいかもしれない。これがひとつ。
もうひとつは「なぜ」を考えることです。良い意味で疑ってみるということ。これはこのコラムではよくお話していることです。
まあ、「思考」というアウトプットと「行動に移す」というアウトプットの間にはまたもうひとつ高い壁があるんですけどもね。
今回はちょっと抽象的なお話でしたかね。。。とにかく無意識のインプットに注意して、アウトプットを増やそう、というお話でした。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール

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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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