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先週はお盆休みのためメルマガを休刊させていただきました。
お盆休み、みなさんはどのように過ごされましたでしょうか。私は例年通りヨメの実家に行き、ダラけてくることに成功しました。思えば昨年はコ□ナで帰省を控えたので、2年ぶりの「夏の帰省」でした。
まあ、コ□ナで帰省を控えたというより、コ□ナ脳の人がヨメの実家の近くにもし住んでいたら、我々が帰省することで義父母に迷惑をかける可能性がある、というのが本当の理由でしょうか。
ほら、ニュースになってたじゃないですか。どこかの地方で東京から帰省した人の実家に「帰ってくるな!」的な張り紙をした人がいたアレ。正義だと思ってやっているのかもしれませんが、個人的にはそんな正義の仮面なぞ、剥ぎ取ればその正体は「自分がビビっているだけ」というただの恐怖心だったりします。
それよりも何よりも、ついに私の身近な人でも出てしまいました。「コ□ナによる会社都合の解雇」をされてしまった人が。。。
その人はフットサルチームの先輩で、1部上場企業で10年近く働いていた後に転職、転職先ではゼネラルマネージャーまで務めたようですから、仕事ができない人ではないはずです(一緒に働いたことはないですが)。なので完全にコ□ナ禍が理由での解雇だと思われます。
コ□ナそのものよりもこっちのほうが断然ヤバいことなのに、日本人はいつになったらそれに気づくのでしょうか?
このメルマガでコ□ナのことを書くのは、実は勇気がいることです。いつも毎回「書くべきか」「どこまで書くか」といったことに悩んでいるんです。コ□ナネタにまったく触れなくなって「逃げた」と思われるのもなんかな、という変なプライドみたいなものもどこかにあるかもしれません。書かなければいっそ楽なんですけども。
今のところ、このメルマガでのコ□ナネタについては批判的な人と応援してくれる人はちょうど半分くらいか、批判的な人のほうが少し多いかなという肌感です。
で、思いついたのですが、コ□ナに対して多くの人がどのように考えているかということをカテゴリ分けしたら面白いんじゃないかと。。。ちょっとやってみますね。
- コ□ナ原理主義
- コ□ナ脳
- コ□ナ怖い派
- コ□ナ怖いのかよくわからん派
- いろいろと疑いを持ちはじめている派
- 反コ□ナ派
- コ□ナ存在しない派
なんとなくこんな感じでしょうか。圧倒的に多いのは「コ□ナ怖い派」のみなさんか「コ□ナ怖いのかよくわからん派」のみなさんですかね。昨年は圧倒的に「コ□ナ怖い派」の人が多かったですが、今年になって徐々に「コ□ナ怖いのかよくわからん派」の方々が台頭してきたという感じですね。
ちなみに私も志村けんさんが亡くなったあたりのころは「コ□ナ怖い派」でしたが、いろいろ調べていくうちに立ち位置が変わりました。
「コ□ナ原理主義」の人というのは、いわゆる医師会、分科会の人やテレビに出ている御用専門家の人、または政権批判にコ□ナを利用している人(主に野党)などで、いわばコ□ナが怖いものであればあるほどコ□ナの利用価値が高くなる人たち、という感じでしょうか。
びっくりしたのが、コ□ナ禍になってからtwitterを再開したのですが、久しぶりに見たtwitterでは3.11当時に原発ヤバいぞと煽りまくっていた人が今度は「コ□ナヤバいぞ!」に鞍替えしていたということです。結構な有名人とか学者もいました。この人たちは煽って政権批判できれば何でも良いのかもしれません。
「コ□ナ脳」は先ほどの例で挙げたような、「正義の仮面をかぶったただの恐怖心のカタマリ」という人たちです。うちの父親はこれです(ちなみに母親は最近「コ□ナ怖いのかよくわからん派」になってきました)。この人たちは正義だと思っているだけに声が大きいです。後先考えずに「コ□ナ対策最優先」を訴えてくる人たちで、私の先輩もこういった人にクビにさせられたといってもいいかもしれないです。
「コ□ナ怖い派」「コ□ナ怖いのかよくわからん派」は先ほど述べたように圧倒的マジョリティなのですが、この人たちも少し問題があります。それが今日のテーマでもある「インプットとアウトプット」と関係してくると考えています。
「いろいろと疑いを持ちはじめている派」は、これも本日のお話に絡めると、「アウトプットができる人」という感じ。なぜ抽選で車をプレゼントしてまでワ◯チソを推すのかとか、なぜいつまで経っても医療体制が拡充されないのかとか、「あれ?」と思いはじめている人も増えてきています。
「反コ□ナ派」は「コ□ナよりもヤバいことがある」と主張する人たちです。私はこの立ち位置ですかね。「コ□ナよりもヤバいこと」とは、たとえば経済面もそうですし「ワ◯チソ強制接種」などもそうです。案の定、分科会などは「行動制限しろ」と言いはじめましたね。このあとは「元の生活に戻りたければみなさんワ◯チソ打ってください」となりますので。。。「生活を人質に取られる」というやつです。
「コ□ナ存在しない派」は「反コ□ナ派」と近しいのですが、そもそも「ウイルスは存在しない」という立ち位置の人たちです。この人たちの言っていることは個人的には賛同できることも多いのですが、私自身がコ□ナにかかっているので、存在しないことはないかなと思います(ただ、そもそもウイルスじゃない説はちょっとあり得るかもと思います)。
さて、みなさんはどの立ち位置でしょうか。どの立ち位置だとしても、情報を整理すると少しスッキリすると思います。
個人的には「みなさん私と同じ立ち位置になってください」と説得するつもりはまったくなく、考える機会を提供できればいいのかなと思っています。情報を受け取ってもなお、「コ□ナは怖い」と判断するのであればそれはそれですし、「信じているもの」が違う以上、説得は無意味だと考えます。ただ、日本国民が考え方の違いで分断されてしまうのは忍びないのですが。。。
圧倒的マジョリティの「コ□ナ怖い派」「コ□ナ怖いのかよくわからん派」は、受け取る情報次第でどちら側にも転ぶ可能性があると考えますが、ひとつ条件があります。「アウトプットができるかどうか」です。
というわけで本日のお話。みなさん、アウトプットをしていますか?
本日は「インプット」「アウトプット」という切り口から、「クリエイティブな思考」とは?というようなお話をしてみたいと思います。
●インプットとアウトプット
そもそもインプットとアウトプットとはどんなことを指すのでしょう?
なんとなく考えるならば、インプットは「情報を入れる」、アウトプットは「行動をする」ということではないかと多くの人が思っていると思います。
私の見解では、これは間違いではないのですが、これだけだと本質的ではないというか、足りないと考えます。なぜかというと、「情報を入れる」も「行動をする」も、能動的、意識的だからです。
しかし、人間は意識しなくても何かしらのことを「インプットしてしまったり」、「アウトプットしてしまう」というのが私の見解です。
その観点で考えると、インプットはいわゆる一般的な「本を読む」「勉強する」と言ったような能動的なことの他に
- テレビを見る(情報を取りに行くというよりとりあえずテレビをつけておくという感じ)
- 音楽を聴く
- ゲームをする
などのことも含まれてきます。
「ゲーム」は一見アウトプットのように感じます。もちろんそういう面もあるのですが、個人的にはインプットだと思っています。スクリーンに釘付けになり、それ以外のインプットを遮断してしまい、かつアウトプットの質は低い(生産性がない)からです。言い換えるなら「質の悪いアウトプットを伴うインプット」という感じでしょうか。
つづいてアウトプット。これは、いわゆる一般的な「行動に移す」以外にもあると考えます。
たとえば電車に乗っているとき。スマホを見るのも音楽を聴くのもやめてみてください。自然と頭の中で何かしらのことを考え出すと思います。私はこの「頭の中で何かしらを考え出す」ということもアウトプットに含むと考えています。
他にも、ギターを弾くとか絵を描くといったことももちろんアウトプット。
私は我が家の子どもたちには何でもいいのでこういったアウトプットをしてほしいと伝えています。我が家の子どもたちも類にもれずゲームが好きですが、そこは時間を決めて終わらせて、空いた時間で何かしらのアウトプットをしてほしいというふうに(もっとわかりやすく伝えていますけども)。
とはいえ、ゲームを終えたと思ったらパソコンでYou Tubeのゲーム実況動画とかを見はじめたりして、親の愛はなかなか届かないと感じております(苦笑)。
重要なのは、意識するしないに関わらず、人間は何かしらを「インプットしてしまう」、または「アウトプットしてしまう」という点です。そして無意識は恐ろしいですよ。思っている以上に人間に影響を与えていますから。
●アウトプットの重要性
インプットとアウトプット、どちらが重要かというと、これもさまざまな見解があると思いますが、私はアウトプットこそが大切なのではないかと考えています。
アウトプットは先ほどお話したとおり、頭の中で何かを考えることも含むと考えます。言い換えるなら、何かを生み出すのがアウトプット。それが頭の中だけなのか行動として現れるのかの違いはあれど、どちらもアウトプットだと考えます。
アウトプットのほうが重要だと考える理由のひとつは、このように大方のアウトプットが「何かを生み出している」からです(もちろん、先ほどのゲームの例のように、質の悪いアウトプットもあります。質の悪いアウトプットとは、「ほとんど何も生み出していないもの」ということになります)。
これがインプットのみだと何かを生み出すことはありません。よくビジネスの勉強をめちゃめちゃしているのにそれをまったく仕事に活かせない人のことを「ノウハウコレクター」と言ったりしますが、これはインプットのみでアウトプットをしていないことの典型例です。
アウトプットが重要だと考えるもうひとつの理由は、「習得する」ためにはアウトプットが必要だからです。
漢字を覚えるのも英単語を覚えるのも、ノートに書いて練習するというアウトプットを伴うことがほとんどです。もしインプットのほうが大事だとするならば、見ただけで漢字が書けるようになる、英単語のスペルを間違えなくなる、理屈を知っただけでギターが弾けるようになる、ということになりますが、実際はそんなことはまったくないですよね。
さて、アウトプットが重要だとする理由のひとつが「何かを生み出しているから」とお話ししましたが、ではギターを弾いたり絵を描いたりすることと、ゲームによるアウトプット、どちらも何も生み出していないじゃないか、なのにギターを弾くのはよくてゲームをするのはダメなのはおかしくないか?という疑問を持たれたかもしれません。
これに関しては、「何を目的にするか」が重要になってきます。
ミュージシャンになるならギターを弾くというアウトプットが重要になりますし、ゲーム開発者になるならゲームをするという一見生産性がないアウトプット(インプットでもある)は重要です。だから一概にゲームによるアウトプットが悪いとは確かにいえないと思います。
が、私はそれでもゲームはほどほどにしておいたほうがよいと考えます。
大人もそうですが、特に子どもは、アウトプットの質にこだわるよりも、どちらかというと量と種類にこだわったほうがよいと考えています。
サッカーチームに所属しているからといって全員がプロサッカー選手になれるわけではありません。ギターを弾くというアウトプットをしたところで、ミュージシャンとして生活できるとは限りません。
しかし、さまざまな種類のアウトプットをたくさんすることで(量と種類)、「アウトプットできる頭をつくる」ということこそが大切だと考えます。アウトプットできる頭があれば、将来仕事なり生活なりのさまざまな場面でアウトプットできる能力が身につきます。
こういった「アウトプットできる頭」をつくるために、さまざまな種類のアウトプットをたくさん経験しておいたほうがいい、ひとまず若いうちは質は問わない、ということです(もちろん大人になっても)。
ところが、ゲームはその中毒性の高さから、他のインプットを遮断してしまったり、アウトプットする頭をつくることを妨げてしまうと考えています。さまざまなアウトプットのひとつがゲーム、であるなら良いのですが、そうならないケースが多いというのは想像に難くないと思います。これはゲームが中毒性を持っているからです。
「ゲームばかりやっていると危険」
このことから、アウトプットとインプットの関係性が少し見えてきます。
●インプットのしすぎで人はバカになる
- インプット+アウトプット=24
ちょっと謎の数式が出てきましたが、それほど難しい話ではありません。「24」とは「24時間」、1日を指しています。
つまり、インプットとアウトプットには上限があるということです。
インプットとアウトプットをあわせて24時間しか使えない(寝ている時間を除くともっと使える時間は少ない)。ということはインプットの量が増えればアウトプットは減り、アウトプットの量が増えればインプットの量が減ります。
この「24」は別の言い方としては「脳のキャパシティ」とも言えるかもしれません。いずれにせよ上限があるので、インプットとアウトプットの配分を考えなければならないということです(だからゲームというインプットで時間を費やすことは危険)。
そして、インプットでは何も生み出すことはできません。もしインプットだけで24時間を使ってしまったら、「思考」というアウトプットすらしなくなります。言い換えるなら何も生み出せない人間になってしまうということです。
「んなことあるかい!」と思うかもしれません。ここで思い出してください。「インプットもアウトプットも意識しているかどうかは問わない」わけです。つまり、テレビを見せる、ゲームにハマらせることができれば、「思考」というアウトプットすらさせないことができるということです。
「コ□ナ脳」「コ□ナ怖い派」「コ□ナ怖いのかよくわからん派」の人たちは、私の見立てではおそらくインプットの量(特に無意識のインプット)のほうが圧倒的に多く、アウトプットできる頭になっていないうえに、アウトプットする時間も少ない人が大半だと推察します。なのでテレビの情報を鵜呑みにして「本当だろうか?」というアウトプット(=思考)をしていないのではないかと思います。
実際に真偽のほどはさだかではないですが、戦後にGHQは「3S政策」というものを打ち立てて日本人をバカにしてしまおうと考えたらしいです。「3S」とは「スクリーン」「スポーツ」「セックス」の頭文字です。「スクリーン」、つまりテレビとゲーム、今ならスマホですね。
もしこれが本当ならば(私は本当だろうと考えていますが)、やはりインプットよりもアウトプットのほうが重要だという裏付けにもなります。
これらのことから、私はインプットだけをしつづけると人はバカになると考えています。
まあコ□ナの話は置いておくとしても、ビジネスにおいても自分で考えて行動に移せる人のほうが活躍できるのは当たり前ですよね。インプット漬けの脳みそになってしまうと、自分で考えて行動に移せる人間とはほど遠い人間になってしまうということです。
そうならないためにも、若いうちにいかにたくさんのアウトプットをしたか(量と種類)がカギになるというのが私の見解です。アウトプットぐせのついた脳みそになれるかどうか。
今は違うと思いますが、私が若いころは「東大生は仕事では使い物にならない」と言われていたことがあります。これはおそらく、勉強漬けになることでアウトプットの量と種類(特に種類)が足りないことから起こっていたのではないかと考えます。
さて、ではインプットがまったく重要ではないのかというと、もちろんそんなことはありません。質の良いインプットはある程度必要です。
私は「質の良いインプット」は「アウトプットさせる力があるかどうか」だと考えます。そのインプットはアウトプットを促すものなのか。例で挙げた悪いインプットであるテレビ、ゲーム、スマホはアウトプットを促すとは言い難いです(まったくないとは言いませんが)。
ビジネス書などは、ビジネスマンにとっては読むと「自社に置き換える」という思考(アウトプット)を促すことが多いですから、質が良いインプットだと考えます。「思考」だけでなくさらに「行動」というアウトプットまで意識して本を書いていたのが、神田昌典さんです。
まあこれも、インプット漬けの脳の人だと読んだところで何もアウトプットできないですが。。。だからインプットの量と質には十分な注意が必要ですね。
また、インプットの質は時間の長さは問いません。長く時間をかけたほうがインプットの質が高いということはないということです。だから、質の良いクリティカルなインプットをしてさっさとアウトプットするほうがいい。24時間の多くをアウトプットに費やしたほうがいい。
では、どうすればインプットの質を高められるか。
禅問答みたいな答えになりますが、アウトプットをたくさんする、ということがインプットの質を高めると考えています。
なぜなら、たくさんアウトプットすると、その思考や経験(成功も失敗も)から、「必要なインプットが見えてくる」からです。何をインプットすべきかはアウトプットが教えてくれるということです。こうすると無駄なインプットをしなくてすみます。
そろそろまとめたいと思いますが、アウトプットを鍛える方法についての持論をお話しします。テレビを見ない、スマホを見ない、音楽を聴かない時間をつくることです。これがひとつ。もうひとつは「なぜ」を考えることです。良い意味で疑ってみるということ。
まあ、「思考」というアウトプットと「行動に移す」というアウトプットの間にはまたもうひとつ高い壁があるんですけどもね。
最後に、今号のタイトルが「クリエイティブ思考を学ぼう」でしたが、「全然クリエイティブ思考の話が出ないじゃないか!」と思われたかもしれません。
「クリエイティブ」とは「創造的」「独創的」という意味ですが、その源泉はアウトプットです。さまざまな種類のアウトプットをたくさんする(量と種類)ことで得られる思考法こそが、「クリエイティブ思考」だと私は考えていて、何もデザイン性や芸術性だけがクリエイティブではありません。本当のクリエイティブ思考は、仕事のさまざまな面、生活のさまざまな面で活用できるものです。
今回はちょっと抽象的なお話でしたかね。。。とにかく無意識のインプットに注意して、アウトプットを増やそう、というお話でした。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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