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昨日のことです。渋谷に用事があったため、電動キックボードのシェアリング「LUUP」を利用して会社から渋谷に向かいました。
こういうやつ(写真はLUUPのサイトより)
センター街の手前くらいを右折してすぐのポート(LUUPの返却場所)に停めようとしたところ、後ろから2名の警察官がすごい剣幕で詰め寄ってきました。
なんでも、ここは一方通行だと。呼び止めているのになんで無視するんだと。
しかし、こちらは警察官には気がつきませんでした。なにせ、電動キックボードは自転車と同じで一方通行に入っても良いことになっているはずです。だから、ここを右折したら警察官に止められるかもしれない、なんていう認識はなかったし、そもそもセンター街界隈のあの喧騒で呼び止められても聞こえません。
「じゃあ何でここで停まったんだ(=我々が呼び止めてすぐに停まったんだ)、ダメだという認識があったからだろ!」と言われたので、目の前のポートを指し、「いや、ここに停めるからだけど?」というと「ああ・・・」とバツが悪そうにしていました。そもそも悪いことをしている認識があったらそのまま停まらずに走り去りますからね。
で、「LUUPは一通入ってもOKなはずですよ」と伝えても、食い気味に詰めてきます。「ナンバーがついているだろ!」とか「LUUPがどうだとかは知らん!」とか。こちらが一生懸命説明しようとしても取り付く島もなにもありません。
「納得いかないなら好きなだけ調べたらいいじゃないですか」といって、LUUPのアプリを起動した自分のスマホを渡しましたが、「おれ、i phone使ってないからわからないし!」みたいな中学生みたいな切り返しもされました(笑)。「自分で勝手に調べろ」みたいなことも言われました。
約束の時間もあるし、納得いかないけど「もういいよ、時間ないからキップ切ってよ」というと、警官のうちのひとりがどこかに連絡を取り出しました。結局、グレーだということで「注意」のみということ。
私も機転が利かなかったのですが、あとでネットで調べたら、LUUPのページに「一通逆走OK」とやはり書いてありました。
画像はLUUPのサイトより
私が入った一方通行のGoogleストリートビュー(「自転車を除く」なのでOK)
そもそも一通逆走できないなら、時間で料金が変わるLUUPは相当利便性が落ちます。それが気になったので、ユーザー登録するときにちゃんと調べていたわけです。
しかし、警察官は最後まで終始横柄でした。市民のヒーローであろうとせいよ(悲)。
で、ここからはコロコロニュースですが、本日はちょっと趣向を変えて。こういう人、今後増えていきます。こういう人というのは、具体的には「公務員」。そして「権力をかざしてくる」人です。
これ、年頭の未来予測をしたときの回で書き忘れたのですが、今後、日本はさらなる増税などにより中小企業は潰れ一般市民が貧乏になります。また、食糧難も演出され、物価高もあいまって、餓死者が出てもおかしくないレベルになると踏んでいます。
そのときに、人々は何を目指すか。まずは大企業に入社することを目指します。つづいて、公務員。
公務員は国にとってとても都合の良い存在です。なぜなら、国に逆らったらおまんま食い上げだからです。何度かお話していますが、ナチスドイツ時代にアウシュビッツ収容所などでユダヤ人を何人も殺したのは、残虐な刑務官ではなく、一般の職員だったといいます。上からの命令に粛々と応えたというわけです。
人間はこのような状態になると、自分がこれをやることに正義を見出します。「ユダヤ人は悪いやつだから殺すのが正しい」とか、「LUUPはナンバーがついているから、一通逆走したらきつく注意してもおれたちは間違っていない」とか。
公務員が増えるだろうなと気づきはじめて少ししてから、ネットの広告でもやたらと公務員募集が出るようになりました。全体主義に持っていくには公務員を増やすのは都合がいいわけです。だって共産主義ってそうですからね。
日本の警察官にそんな空恐ろしさを感じたので、コロコロニュースとして取り上げました。人間性が未熟な者が権力を持つ恐ろしさと愚かさを、これから我々は痛感する時代が来ると思います。
そんなことになったら、私はもう家族を連れて南の島に逃げます。ミクロネシア連邦あたりに逃げようかな。
知ってます?ミクロネシア連邦。Googleマップで見るとこのあたりです。
まだぜんぜんわからないですね(笑)。これならどうでしょう?
フィリピンのだいぶ東です。グアムの南東。
実は今週の日月火と、このミクロネシア連邦にある無人島に経営者仲間6人と行ってきました。
ここでは2泊3日(正味48時間)、お酒呑まない、トランプとかのゲームしない、ひたすら自分と向き合う、をテーマに過ごしました。
本日はこの無人島のお話や、そこで感じたことをお伝えしてみたいと思います。デザインやブランディングの話ではありませんが、お付き合いください。
●日本人しか泊まれない無人島
年に2回、何らかのテーマを持ってメンバーで旅行をする。これが私が所属している経営者団体EOの「フォーラム」と呼ばれるチームでの掟です。
昨年春は「スラム街を見て人生観を考える」というテーマのもと、フィリピンに行きました。その時のコラムはこちらです。
昨年の秋は「台湾の企業を知る」というテーマで台湾に行きました。そこでは一次情報を得る大切さを知りました。コラムはこちら。
過去には鹿児島の知覧に行き、死生観を考えることもしました。知覧、ご存知ですか?特攻隊が飛び立つ飛行場があった場所です。その時のコラム。
今回は、「無人島で何もできない環境でひたすら自分と向き合う」をテーマに、ミクロネシア連邦の「JEEP島」に行きました。
JEEP島は日本人しか泊まれない無人島です。私も仲間に聞くまでこんな島があるとは知りませんでした。
成田からグアムへ、そしてグアムからチューク島という島へ。チューク島からさらにボートで40分行ったところにJEEP島はあります。
ちなみにこちらがチューク国際空港。
空港を出るとさまざまな車が停まっています。トヨタや日産、マツダ、ヒュンダイなどなど。しかしそのほとんどにナンバーがついていません(汗)。車は国が管理していない??
道はガタガタ。20〜30kmくらいでしか走れない道です。凸凹すぎてスピードを出すとタイヤがパンクするリスクが高いから。
これ、チューク島のメインストリートだそうです(汗)。
そして港に到着。いよいよJEEP島に行く最終準備です。
そこで若い日本人のお兄ちゃんが突然現れました(写真の真ん中)。心細かったのでこりゃ助かるな、と。ボートに同乗して我々をJEEP島に送り届けるまでいろいろ手伝ってくれるんだなと。
JEEP島行きのボートに乗る前に、いろいろと誓約書にサインをさせられます。
「全部自己責任ですよ」
「ヤシの実が落ちてきて大怪我したり死んだりすることもありえますよ」
などなど。「ヤシの実落ちて死ぬかも」は衝撃的でした。
ボートに乗り込む前にずぶ濡れになっても良い格好に着替えます。90リットルのゴミ袋を日本から持っていって、キャリーケースをその中にしまいます。
「ボートってそんなに濡れるの?」と質問すると、「海の中にいると思ったほうがいいです」という回答が。。。
いよいよ出発。ボートが走り出すと、海の水の色がきれいなグラデーションで段々と変わっていきます。
「きれいだな」と感傷に浸るのもつかの間、沖合いに出るとまあまあ波も強く、ふっ飛ばされそうになります。水もバシャバシャかかってきて、スプラッシュマウンテンよりもスプラッシュでマウンテンな感じでした(海なのに)。
さて、JEEP島がどんな島か、写真見たいですよね。こんな島です。
いかがでしょうか。ドラゴンボールに出てくる亀仙人が住む島みたいじゃないですか?ここに2泊3日してきたわけでです。
いよいよJEEP島が見えてくると、写真では見ていたけど本当に「亀ハウス」だなと感じました。桟橋がないので、ボートを近くのブイに引っ掛けて、海の中を歩いて上陸。下は珊瑚だらけで歩きづらいし、マリンシューズがないと怪我します。
上陸したときは感慨深かったなー。ついに来たか、みたいな。
さて、「無人島」と言いましたが、正確には住人が3人+2匹います。ひとりが現地人の「チュニオ」、やはり現地人の「リペル(ママ)」、そしてTARAちゃん。なんと日本人。
そうです。チュークの港で突然現れた日本人青年は、JEEP島の住人だったんです。
島ではこの3人がさまざまなお世話をしてくれます。ママがつくってくれる食事はかなり日本人好みになっていて、カレーなんかは日本の家で食べるまんまでした。
また、島の看板犬2匹、「ビキニ」と「ジープ」が動物好きの自分としてはたまらなくかわいかったです。ジープは島に来てまだ2週間だそう(子犬がジープ)。
JEEP島は開島してから今年で27年だそうです。「世界の絶景100選」で1位に選ばれたこともあるそうです。27年もあったのに、その存在をぜんぜん知らなかった。
この島を開島したのが、吉田宏司さんという方。この方です。めっちゃかっこいい。勝新みたい!
JEEP島およびチューク諸島は「トラック環礁」と呼ばれる環礁の中にあります。島の名前は「トラックより小さいのでジープ」ということでつけられたそうです(笑)。
島には小屋が2つ。普段は男性客用と女性客用で分けて使っているそうです。それとチュニオやママが過ごす場所が別にあります。
小屋と小屋の間には屋根が付けてあり、大きいテーブルが置いてあります。ここがリビングのような役目を果たし、みんなここで過ごします。
トイレは2つ、シャワーが1つ。といってもシャワーはバケツに水を汲んでそれを浴びるだけです。水道は当然ありませんから、蛇口を捻ったらお湯が出る、なんていうことはもちろんありません。
水道が来ていないので当然トイレも水洗ではありません。洋式トイレの横に大きなバケツがあり、そのバケツから水を容器ですくって便器に入れます。小の場合は1杯、大の場合は2杯とルールが決まっています。
水洗じゃないので汚いトイレを想像しそうですが、思ったよりもきれいです。しかも、不思議なことに匂いがほとんどない。なぜか。
トイレの排泄物はすべて海に出るのですが、その前に珊瑚の瓦礫の中を通っていきます。そうすると、珊瑚の消臭効果やその他の成分できれいに浄化されて海に流れるんだそうです。地球って不思議。
なお、水道が来ていないとお話しましたが、ではトイレやシャワーの水はどうするのか。これ、すべて雨水です。雨が降ったときの水をタンクに貯めて使っているのです。だからシャワーもトイレも使える水の量が決まっているわけ。
飲み水はすべてチュークから運んできますが、それも量に限りがあります。なので、コーヒーを飲むときは雨水を沸かして殺菌したもので飲みます。普通に美味しい。
けど雨水にはミネラルがほとんどないので、ずっと飲んでいると体が重くなるというか、負荷を感じるらしい。それでも大雨でチュークから物資が届かないときなどは、飲み水も足りなくなり雨水を飲まざるを得ないそうです。
JEEP島は、島の直径がおよそ35m、1周およそ110mの島です。ゆっくり歩いても3分くらいで歩き終わってしまいます。ここで私が1周歩いたときの動画をご覧ください。JEEP島の全貌がわかると思います。
JEEP島は思ったよりも風が強いです。よく考えたらそうですよね。周りは360度海で吹きっつぁらしですからね。赤道にほど近い場所ですが、昼でも日陰だと長袖がほしくなります。
夜は文字通り満天の星。今までの人生で見た中でもっともきれいな星空でした。もはや宇宙。流れ星もビュンビュン飛んでますし、日本からはほぼ見えないと言われる南十字星(サザンクロス)も見ることができました。写真だとわかりづらいと思いますが。。。
初日の夜は「みんなで外で寝よう!」となりましたが、あまりの風の音と寒さにひとりずつ小屋に戻っていったのでした(笑)。
●JEEP島とチューク諸島の歴史ー日本人との深い関わりー
JEEP島のあるチューク諸島やミクロネシア連邦がどういう歴史の場所かを少しお話したいと思います。
ミクロネシア連邦はそもそも大航海時代にスペインが植民地にした場所です。その後、ドイツ、日本、アメリカが統治しました。今は独立国ですが、アメリカからの援助がかなり入っているそうです。
日本の統治時代というのは、まさに太平洋戦争のころになります。ここは日本海軍の重要拠点だったようです。
チューク諸島はダイビングスポットとして世界的に人気です。それはなぜか。
こちらをご覧ください。何の地図かわかりますか?
私もチューク国際空港についてはじめて知ったのですが、ここには太平洋戦争時代の日本の船がものすごい数沈んでいるのです。
ヘイルストーン作戦というアメリカ軍の奇襲作戦により、チューク諸島にいた軍艦や貨物船はすべて撃沈しました。アメリカ軍は「パール・ハーバーの借りを返した!」といったそうです。
ダイビングスポットとして人気の理由は、これら沈船を見ることができるからというわけです。なんでも、タイタニックのエンディングシーンで、この沈船の中の映像が使われたとか。
しかし、我々日本人からしたら非常に複雑です。国を護るために戦ってくれた人たちの遺骨もあがり切らない場所を「エンターテインメント」の場所にされてしまうことに、日本人はもとより、現地の人も抵抗があったようなのです。
日本軍は本当に悪いことばかりする人たちだったのでしょうか?本当に侵略が目当てだったのでしょうか?
War Guilt Information Program(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というものをご存知でしょうか。これは「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」です。戦後に日本人が「あの戦争は間違っていた」「日本は侵略戦争を行ったので、罪を感じるべきだ」という意識を持つように仕向ける計画で、GHQが行ったと言われています。
WGIPは「存在が証明されていない」とWikipediaにあります。しかし、関野通夫さんという方が研究の結果、存在を主張しています。産経新聞で記事になっています。
これの真偽は定かではありませんが、推測するに私もWGIPはあったのではないかと思います。それを今回の旅でも感じました。
日本統治時代の話を現地の人に聞き、ブログにしている方がいました。日本への感謝と、なぜ現地の人は名前に日本語を入れるのか、などが書かれています。こちらです。
日本とミクロネシアには深い関わりがもともとあることがわかります。そしてそれだけでなく、日本統治時代のことをミクロネシアの人たちが感謝してくれていることがわかります。
今回、私が現地で聞いた話は、キミオ・アイセックさんという方と日本の下士官だった内田さんという方の話でした。
内田さんは「愛国丸」という船に乗船しており、当時14歳のキミオ・アイセックさんを実の子のようにとても可愛がったそうです。
数年後、先ほどのヘイルストーン作戦でチューク諸島はたいへんな空爆を受けます。キミオさんは、満杯になった防空壕のもっとも入口に近い場所で身を潜めていたそうです。
キミオさんにはとても気がかりなことがありました。内田さんのことです。居ても立ってもいられなくなったキミオさんは、愛国丸が停泊している港まで空襲の中を走り出します。
目の前には無傷の愛国丸が。安堵したのもつかの間、2発の魚雷が愛国丸を爆破したのです。キミオさんの目の前で沈む愛国丸。号泣するキミオ少年。
数十年後、キミオ・アイセックさんは「チュークの父」と呼ばれるほどの実業家になります。
そんなとき、あるひとりの日本人が、キミオ・アイセックさんのダイビングショップに訪れます。それが先ほどの吉田さんです。
実は吉田さんは世界中のダイビングスポットを回った中で、チュークだけは避けていたそうです。戦争の歴史から、複雑な思いがあったそうなのです。
しかし、そんな吉田さんがついにチュークに訪れたとき、キミオ・アイセックさんは、はっきりとした日本語で出迎えたそうです。この出会いから、吉田さんは日本人こそむしろここに来るべきだと思いはじめ、多くの日本人ダイバーをチュークに連れてきました。
その行いに感謝をしたキミオさんは、吉田さんに「ほしいものがあったら何でも言ってくれ」といったそうです。そこで吉田さんは、「JEEP島(当時は違う名前)がほしい」と答えたそうなんです。
これがJEEP島開島のきっかけとなるできごとです。
太平洋戦争時代の日本と、統治下の各国とのこういった話は枚挙にいとまがないと言っても良いと思います。台湾然り、その他の東南アジアの国然り。韓国や中国だって、一部の人たちは日本軍に感謝していると聞きます。
世界の中でもっとも「いいヤツ」、「正義と優しさと勇気」にあふれていた人たちが日本人だったのではないかと思うと、「悪者」にとってはたしかに邪魔だったんだろうなと感じます。
冒頭のおまわりさんに当時の日本人の爪の垢を煎じて飲ませたい(笑)。
●本っっっっっっ当にどうでもいいこと
JEEP島では、このキミオさんの話や吉田さんの話をたくさん聞く時間がありました。
吉田さんのJEEP島開島時の話も相当すごいです。開島時はヤシの木が1本とか2本しか生えていないような島でしたからね。大雨の中寒くて犬を抱いてあったまりながらやり過ごした話や、サバの缶詰を食べすぎて、今は吐き気を催すとか。
このあたりの話は、ガンプ鈴木さんという人力車で旅するYouTuberの方が吉田さんにインタビューをしている動画があります。
「もうダメかも」と思ったときにイルカに助けられた話とか、すごいです。
そして今、吉田さんの後継者を目指しているのが、この島に住むTARAちゃんというわけです。彼の人生も面白い。相当壮絶です。JEEP島の強力なコンテンツのひとつが、TARAちゃんです。
JEEP島での初日の夕方、シュノーケリングに挑戦しました。初シュノーケリングでした。まあ、泳ぎは普通にできるし、大丈夫だろうと。
で、波打ち際から5m行ったかなくらいのところで溺れかけました(笑)。
けっこう波が強い中、足元は珊瑚でガタガタ、フィンを付けているから煽られる、シュノーケルからガンガン水が入ってきて息ができない。波に流される方向に大きな岩があり、ぶつかったら大怪我する。
みっともない話、ものすごい恐怖を感じました。溺れかけながらもふと横を見ると、もうひとり溺れかけている仲間がいました(笑)。ものすごい敗北感を感じながら、2人とも10分くらいで諦め、浜辺に上がりました。
しかし、このまま諦めたくない。翌日の午前中はボートを出して沈船と沈んだ零戦を見に行くとのことで、これは絶対に体験したい。翌日にはなんとかシュノーケリングとチュークの海に「順応」することができました。
沈船や沈んだ零戦を見て、「命の使い方(使命)」みたいなものに思いを馳せました。たしかに「ただのエンタメ」としてここを楽しまれるのは、日本人としてちょっとイヤかも。
この日の午後もJEEP島の近くでシュノーケリングをしました。「ジャックナイフ」という垂直下降の練習ができるところまで「順応」できたと思います。耳抜きができなくてぜんぜん深く潜れませんでしたが。
最終日の朝はシュノーケリングの集大成。JEEP島の周りを一周しました。30分くらい?
ちなみに「ヤシの実で死んでも責任取りません」という誓約書、「そんなことあるかいな」と思っていたら、リビングスペースで話をしているときに緑色の物体が一瞬目に入り、その後「ドスっ」と鈍い音が。
「あ、これあたったらやばいやつだ」と一瞬で認識しました。
さて、私はJEEP島で何を感じたか。
一番感じたことは、自分のこだわりとか、執着とか、怒りとか、認められたい、特別な人だと思われたい、みたいな感情は、大自然の前では本っっっっっっ当にどうでもいい、ということです。
溺れかけて恐怖を感じているときに、「今月の売上、大丈夫かな?」とか考えるやつ、いないわけですよ。「あのとき、あいつムカついたな」とか意味がない。
なので、良い意味で「諦める」みたいなことを体感しました。大自然のように、自分ではどうにもならないことがある。それに抗うのではなく、波を感じて「順応する」。
今までの自分なら、冒頭の警察官に取られたあの態度は思い出すたびに腸煮えくり返るところだと思いますが、JEEP島帰りの自分はそこまで怒りは感じず、最後は「いろいろとお疲れさまです」と声かけてました(笑)。
JEEP島でこの「諦める」の話をみんなにしたときに、TARAちゃんがすごくいい話をしてくれました。
JEEP島では、飲み水がなくても現地の人が運んで来なければ待つしかない、雨水がなくても雨が降るまで待つしかない、いい意味で諦めるんだそうです。「信じて待つ」しかないんだそうです。そして、それでも人を頼るしかない、ひとりでは生きられないと痛感するんだそうです。
「自己否定ではない自己無力感」とでもいいましょうか。
誰かに共感してもらいたいとか、誰かに特別扱いしてほしいとか、自分が求めていたもの、執着していたものの小ささに本当に愕然としました。
実は、JEEP島に行く前はけっこう不安だらけでした。
- え?48時間もネット使えないの?
- こんなに小さい島で津波とか来たらどうするんだ??
- お酒も禁止?(これは自分たちで決めただけだけど笑)
とか。心の方向性としてはむしろ行きたくない感じ。覚悟を決めて行ったといっても過言ではありません。
それが、帰るころにはすっかりJEEP島ロスになってしまい、チュークへのボートがまだまだ着かないでほしいとすら思ってしまいました。
この体験をとおしていろいろと「験(し)る」ことができたことは、本当に大きいです。
何より、鹿児島の知覧と同じかそれ以上に日本人が訪れるべき場所だと感じます。
自分を、そして自分が執着していることの小ささを、教科書では学べない何かを、あなたも感じてみませんか?
最後に、TARAちゃんのInstagramをご紹介します。ぜひフォローしてください。
JEEP島では、TARAちゃんの存在が本当に大きいし、ここには書きませんでしたが、彼の人生も本当にすごいです。世界40カ国を周って最後にたどり着いたのがJEEP島。
何より、現地の人にも訪れた日本人にも愛される人間性は本当にリスペクトします。TARAちゃんには本当に感謝しかないです。
彼の名は渡会(わたらい)和馬。まさに渡って会いに行く人というわけです。
今回はここまでです!
津久井
投稿者プロフィール
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ロゴ専門デザイン会社ビズアップを2006年に創業。
かつてバンドで大手レコード会社よりCDリリースするも、大事なライブ当日にメンバー失踪、バンドは空中分解。その後「社長になりたい」と思いすぎてヨメの出産5ヶ月前という非常識なタイミングで、各方面から非難を受けながらも独立、5ヶ月でビジネスを軌道に乗せる。
2009年から毎週書きつづけているコラムでは、ブランディングやデザイン、クリエイティブについてかなり独特な視点で切り込む。レインボータウンFMでパーソナリティも務めている。
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